2011年7月29日金曜日
なでしこジャパンは断れ!菅首相の延命茶番「国民栄誉賞」
高速無料化の被災証明353万枚の”乱発”内陸の栃木県でも全市町村で発行
■被災証明書類の発行状況■
市町村数 発行市町村数 発行枚数
青森県 40 30 350000
岩手県 34 34 400000
宮城県 35 35 990000
福島県 59 58 850000
茨城県 44 44 870000
栃木県 27 27 70000
合 計 239 228 3530000
自分の懐が直接痛まない場合は大盤振る舞いになりやすい。
“姑息菅”支持率回復になでしこ利用!国民栄誉賞で狡猾工作
≪枝野幸男官房長官は25日午前の記者会見で、サッカーの女子ワールドカップ(W杯)で初優勝した「なでしこジャパン」に対し、国民栄誉賞の授与を検討していると明らかにした。理由については「国民にさわやかな感動と明るい希望を与えた」と説明。≫
国民というより、政府とマスゴミはかなり助けられたな。特に恩恵を受けたのは菅首相自身だろう。お陰で、引責問題がうやむやになった。お礼したい気持ちは解らなくもない。
≪1977年に創設された国民栄誉賞は、756号の本塁打世界記録を作った王貞治選手をはじめ、18人に贈られているが、「顕著な業績があった者について」と個人を対象としており、これまでチームや団体を表彰したことはない。≫
「国民栄誉賞」とはご大層な名前だが、大した賞ではない。
国民栄誉賞
≪王貞治の通算本塁打世界新記録達成(756号)に期待がかかっており、彼が達成した際の賞与として考えられたものである。≫
王氏は日本国籍がないので、このままでは既存の表彰ができない。そこで国民受けを狙った福田内閣によって急遽考え出された賞である。「確たる基準がなく、その時々の判断」と受賞基準もいい加減だが、基準は一応はある。
それは、政治利用できるかどうかである。この賞が作られた目的だからである。
福田元首相が王氏にこの賞を贈った年は1977年だった。
福田赳夫内閣
≪昭和52年1月の定期党大会において党則を改め総裁の任期3年とあるを2年に改めるものとする。
総裁任期2年云々の項は、「2年で福田は総理・総裁の地位を大平に譲る」という含意である。大平は、ホテルパシフィック東京での会談において、この項についての話になったとき、それまで開かなかった口をはじめて開いて、
「2年後のことを今ここで話し合っても仕方ないんじゃないでしょうか。2年後のことは2年後にあらためて話し合うことにしようじゃありませんか」
この発言を伝えたのは園田直の回顧である。園田は保利に言った。
「保利さん、大平さんに負けました。これじゃ2年後、私たちは大平政権樹立のために走り回ることを約束させられたようなものですね」≫
1977年はこれといった大きな失政はなかったが、福田氏は大平氏の援助がなければ政権維持ができず、大平氏から「2年で譲れ」と迫られていた。
で、政権維持に執着していた福田氏は、大平氏に対抗するために内閣支持率アップに躍起になっていたのである。
ということで、国民栄誉賞は支持率低迷時に企画されることが多い。
したがって、菅首相の発案は「姑息」でも「狡猾」でもなく、「国民栄誉賞」本来の姿をそのまま踏襲しただけの話なのである。
なでしこが「こんなのいらん!」とこの賞を蹴れば拍手喝采なのだが…。
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