2016年3月18日金曜日

舛添都知事朝鮮人疑惑再浮上!都立高校跡地に保育園より韓国人学校の建設優先

高校跡地を韓国に貸す舛添知事に都民激怒「保育園が足りないのに」
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1458224247/

≪2016年3月16日、東京都が韓国政府の要請を受け、新宿区の都立高校跡地を韓国人学校の用地として、有償で貸与することを検討開始したと毎日新聞が報じた。

それだけを聞くと廃校になった場所を貸すだけで問題は無さそうだが、一方で現在東京都では「保育園落ちた日本死ね」と書かれたインターネットのブログが波紋を呼び、保育園に子供を預けられない親が増えていることが問題になっている。

そのため、TwitterなどのSNSでは「韓国に土地を貸す前に保育園を作ってほしい」などといった声が数多く挙げられており、ネット上で炎上している。

「保育園落ちた日本死ね」匿名グログでマスコミが「保育園が足りない」と騒いでるのに、都市部に大規模な認可保育園が設置できる都立高校の跡地に、韓国学校を創る舛添要一東京都知事www日本国民よりも韓国人を優先する舛添要一www酷いなwww≫


巷間の意見>>
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【日韓】東京都の予算がソウルに流れる危機・・・舛添都知事がソウル市長と様々な分野での協力を約束
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1423153736/

【日韓】都民の税金で韓国に媚びを売る舛添知事[2/18]
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1424347358/

【日韓】舛添都知事、東京都がソウル市に地下鉄の技術を提供することで合意 [7/23]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1406111678/

【社会】東京都とソウル市、道路陥没対策で協力合意 舛添知事「平和や人権を守るためにも、都市間の友好関係は役立つ」と強調
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1422977918/

【東京】26年度「都民の声」まとめ 舛添都知事の「都市外交」への意見最多 7月の韓国訪問に関する批判的な意見が大半[11/21]
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1448038865/

【政治】舛添氏の「都民の90%は韓国好き」発言は誤報 正確には舛添氏が付き合ってる日本人の9割以上が韓国好き
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1406552111/
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(T-T)ノ~ 舛添とかけて売国奴と解く その心は?

巷間の意見>>
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舛添東京都知事は、東京都民を騙して、東京都知事に当選した奴だぞ!!!!!!!

舛添は、在日朝鮮人からの帰化日本人じゃない純粋な日本人だと公言して、それを信じて都民は投票したはずだ。

これって経歴詐称なんじゃないの、選挙違反にならないの?

その証拠は下記です。

1989年10月放送の朝まで生テレビの「激論!ドーする外国人労働者」での発言です。

外国人労働者受け入れがテーマの放送だった。

舛添要一は朝の3時過ぎかな?みんなが眠くなったころ、唐突にすごい感情的になって怒鳴り散らしてケンカ腰だったですね。

「日本の文化習慣を完全にマスターした朝鮮人もいるんだ、それが私だ」とカミングアウトしました!!
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(T-T)ノ~ 自民党の片山議員が一言↓

元妻が語る舛添要一 【拡散超希望】
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/24025f8c57e0138fd7aeaf582b84ab0e

≪「いくら遅く帰って来ても構わない。彼はこう言ってくれました」

「彼のこの言葉が(お見合いの結果)の決め手」

「最初はソフトな印象だったのですが」

「結婚前、彼はいきなり夕刊紙の記者を連れてきた。一面で報じられてしまった。保守的な役所の世界で生きている私は、関係者への挨拶をせねばならないのに、段取りをすっ飛ばされた」

「官僚としての私の立場を全く考えていない。彼は『女性キャリアとの婚約』という『ニュース』をやはり利用しようとしたんですね」

「党を出たのも党首としてひんぱんに露出したいから」

「結婚生活が平穏だったのは最初の数週間だけ」

「『遅く帰ってきやがって!』突然彼は怒り始めた」

「いきなりキーっとなって理由もなく怒鳴る」

「一方的にまくしたてて、私の言うことはいっさい聞かない」

「そこら辺にあるものを、手当たりしだいに投げつける。炊飯器の蓋が割れていたことも」

「サバイバルナイフなどいくつものナイフを私の目の前にズラーっと並べ立てた」

「そのうちの1つの刃先を私に向けたことまであった」

「着の身着のままタクシーで実家に戻ったこともあります」

「結局3ヶ月ほどで、弁護士に離婚を相談しました」

「すると、彼には愛人が、そして彼女が妊娠中であることが分かった」

「『出て行け、出て行け』とギャーギャー騒いでいる人の横では、寝ることさえままなりません」

「愛人ができたから私を早く追い出したかったんでしょうね」

「私から離婚調停を申し立て、成立したのは2年3ヶ月後。彼は世間体を考えて時間をかけたのでしょう。それまでは籍を抜いてと言っても向こうが応じなかった」

「彼は暴力的、いい思い出は皆無、あったのは恐怖のみ」

(一方の舛添氏は、二人の女性に出産させたものの入籍せず後に別の女性と再婚。その間には婚約不履行で訴訟を起こされてもいる)

「離婚後も、一方的に私のことを『もっとも広報にふさわしくない、とワルクチを。腹いせなのか」

「公私共に人を利用するだけのものと思っているのでしょう」≫

(T-T)ノ~ 片岡さつき議員認定の売国奴でした。それにしてもキャリアだった片山議員様な人が、何でハゲ朝鮮人と結婚したんでしょうかね?
これも謎です。


情弱の意見>>
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舛添の父親と母親は在日朝鮮人だった、だから舛添も正真正銘の在日朝鮮人だったぞ!!!


その証拠は下記です。

これは韓国の中央日報日本語版の記事で、先日の舛添が韓国訪問の時に鄭議長合った時の様子が、記事として載っています。

韓日首脳間に舛添氏という対話チャンネル構築したのは成果」 中央日報日本語版 2014年07月27日12時50分

一方、舛添知事は鄭議長との会談の席で、「1930年5月に福岡県若松市議会議員に出馬した父親弥次郎氏が広報チラシにハングルの名前を併記し、当時福岡 に住んでいた韓国人の人権改善を公約として提示した」と説明して父親の広報チラシ写真を見せ、代を継いだ韓国との親密な関係を強調したと議長室関係者が伝 えた。

舛添の父親は、ハングルの名前を持っていたのです、日本国民じゃ必要はありません。

そして父親は韓国人の人権改善を公約として提示したと舛添は説明しています、当然舛添もこの考えで、日本国民あるいは都民より在日朝鮮人優先は、当たり前の事なのです。

でも、東京都知事としては絶対あってなら無い事です、日本国の東京都民の知事なのですから。


東京都民をだまして都知事になった危険人物の舛添は、絶対東京都知事を辞めさせないと、東京が、あるいは、日本国が大変な事になります!!!!!!!!!!!

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(T-T)ノ~ 日本国はとっくに大変なことになってるわ。露骨に身贔屓するのは朝鮮人の習性。例の世界大統領を見れば納得ですね。

舛添要一
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9B%E6%B7%BB%E8%A6%81%E4%B8%80

≪生い立ち

福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)に父・彌次郎、母・ユキノ(母は長野県駒ケ根市の小池家の出身)の長男として生まれた。4人の姉がいる。

父は戦前、鞍手で炭鉱を経営するなど様々な事業を手がけ、昭和5年の若松市議会選挙に立憲民政党陣営から立候補したこともあった。戦争で零落したものの、 要一の幼少時は青果店を経営し、比較的裕福な家庭に育ったが、小学2年の時の火災をきっかけに父が病臥(要一が中2の時に死去)、家業も傾き、以後は貧困 の中で苦学した。≫

(T-T)ノ~ これを見ると日本人ぽいですが、本人主張です。

≪奔放な女性関係で知られ、2度の離婚歴がある。
最初の妻は留学時代出会ったフランス人。
2度目の妻は大蔵省官僚時代の片山さつき(当時:朝長さつき)であり、衆議院議員だった近藤鉄雄の紹介でお見合いしたのが馴れ初めで1986年に結婚。
しかし実質的な結婚生活は長続きせず、3か月後には片山が弁護士に相談する事態に陥ったといい、調停を経て1989年に離婚。
1996年6月に現在の妻である元秘書の女性と3度目の結婚、2児をもうけている。

他に日本人女性2人との間に婚外子が3人おり、実子は計5人である。

婚外子の母である元愛人に対して弁護士名義で手紙を送り、「自分の年収が激減している。子供も自立したのだから、月額22万円の扶助料を減らしたい」との理由で婚外子の養育費削減を通達したことがある。
なお、所得等報告書に競馬関連の記載があったことについて、舛添側は「エリザベス女王杯というものがある通り、競馬は国際関係の研究・勉強に資するものです」と説明したという。≫

(T-T)ノ~ 要するに、女を見ると見境無くむらむらする。避妊計画など頭にない。子供の養育費より愛馬が大切。
ハゲにとっては希望の星のような御仁ですね。髪の毛の薄い都民は投票しましょう。

≪実姉の生活保護受給

また、お笑いコンビ次長課長河本準一の母親の生活保護受給スキャンダルの発覚(芸能人生活保護不正受給問題)から、姉の生活保護受給の話題が再び注目された。
1992年、北九州市の担当職員が「可能な範囲で1万でも2万でもいいから仕送りしてくれ」と頼むため舛添の家を訪ねたが追い返されたという(元市職員談)。
当時の舛添はタレント学者としてテレビで稼いでおり、億単位で不動産を買い漁っていた。これらの事実確認を求める取材に対し、舛添事務所は応じていない。≫

(T-T)ノ~ これはケチと言うよりも、人格問題のような感じですね。

≪2000年に実母が死去するまでの数年間は、介護のため週末は郷里の北九州市で過ごすことが多く、仕事の重点も関西にシフトさせていた。
晩年認知症(痴呆症)であったこの母の介護体験記『痴呆症の母を守って家庭崩壊』を『婦人公論』に連載]。
母の介護問題を巡る困難や親族との軋轢などを赤裸々に描き、大きな反響を呼んだ。
この体験以来、福祉や介護問題を始めとした厚生行政への働きかけや問題提起を活発に行っている。
介護体験は自ら政治の世界に足を踏み入れるきっかけの一つとなり、後の厚生労働大臣就任へとつながっていった。

ただし、『週刊文春』において、舛添氏が母親の介護をしていたのは2000年に亡くなるまでの3年間ほど週1回程度、母親の日々の介護は舛添氏の会社の取締役に名を連ねる3番目の姉が行なっていたとの「近所の老人」による証言が掲載される。

3番目の姉と舛添氏が介護に携わるまで長年、長姉夫婦が母親と一緒に暮らしていたが、同夫婦には母親と別居後は母親の死も知らされなかったとされる。

また、舛添氏は著作で長姉夫婦が母を虐待していたと書いているが、長姉夫婦はそれを否定している。
舛添氏母が関わった病院や施設関係者への文春の取材では「長姉夫婦が虐待をしていたなんてことはない」といった内容の記事が掲載された。≫

(T-T)ノ~ 母親をネタに商売して厚労相になったんですね。現行の介護法もこの御仁の手垢に染まっていることになります。

≪フランス語と英語に堪能で訳書も多い。その他ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ロシア語もある程度解せるそうで、1997年には『舛添要一の6ヶ国語勉強法』という本を出版した。≫

(T-T)ノ~ 一番得意な朝鮮語を隠しているのは奥ゆかしいですね。

ホラッチョ川上が可愛らしく見えるほどの「経歴」でした。


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