2010年10月15日金曜日
ノーベル賞の補完?「世界文化賞」に見る日本の稚拙外交ぶり
【世界文化賞】「先達と肩並べ、深い喜び」ローレンさんら授賞式
ノーベル賞を今年はどこの国の人物がもらうかで毎年話題になっている。日本人の受賞者が出るとマスゴミも鬼の首を取ったように騒ぎ立てる。ノーベル賞をほしがって騒ぎ失笑を買っている韓国の狼狽ぶりもバカウヨどもの話のネタになっている。
しかし、この時期、日本で「世界文化賞」なるものが行われていることを、当の日本人でも大半が知らない。
高松宮殿下記念世界文化賞
≪「絵画」、「彫刻」、「建築」、「音楽」、「演劇、映像」の5部門で優れた人物に授与される。文化芸術の分野でノーベル賞を補完しようとする目的がある(ノーベル賞に存在する文学部門がないのはそのためである)。
例年9月下旬に受賞者が発表され、10月中旬に授賞式が行われる。その報道は、日本美術協会がフジサンケイグループに属している関係で産経新聞では1面で大きく掲載し、フジテレビジョンでは授賞式の特別番組を放送しているほか、FNNのニュース番組でも受賞者の横顔が取り上げられる。
授賞式には、年によって今上天皇並びに皇后が出席する。出席しない年でも、受賞者と謁見・懇談する場が別に設けられる。また、1994年にホワイトハウスでビル・クリントン米大統領夫妻主催によるレセプション、1995年にはバッキンガム宮殿でエリザベス2世主催によるレセプション(その翌日には、首相官邸にてジョン・メージャー首相主催によるレセプション)、1996年はエリゼ宮でジャック・シラク大統領主催による昼食会が開かれた。≫
ノーベル賞と期を同じくして授賞式をやっているのは、最初からノーベル賞を念頭に置いているためである。
賞金は1500万円とノーベル賞の1千万クローナ(約1億4千万円)には遠く及ばないが、賞金相場としてはトップクラスの高額である。
しかし、委員や受賞者などの人選で無理して大物を選んで営業努力している割には、その実態は日本人でも知らないし、当然ながら世界的に話題になるはずもない。受賞した連中も金目当てに来るだけである。
日本の他のマスゴミがシカトしているのは産経さんとの日頃の関係によるものだろう。「勝手にやってろ、知ったこっちゃない」ということだ。要するに国内のコンセンサスもろくに取れていないのである。天皇まで担ぎ出している割にはお粗末な限りだ。
仮に、この賞が「ノーベル文化・芸術賞」に格上げされれば、とたんに世界中に注目されることになる。ノーベル賞のブランド力が低下するので、まず無い話だが…。「補完」を認めさせるだけで、ノーベル賞委員会に相当巻き上げられたであろうことは予想される。
では、この賞のブランド力を上げるにはどうしたらいいか?
答えは誰でも思いつくだろう。そう、賞金額を上げればいいのである。ポンと3億円くらいに値上げすれば、たちまちハクが付くこと請け合いである。
勿論、ノーベル賞委員会は怒り出すだろうから、ノーベル賞との縁は切るべきである。今後、日本人のノーベル賞受賞者は期待できなくなるだろうが、それよりも、ノーベル賞に匹敵する権威ある賞を日本で開催する宣伝効果の方が遙かに高い。
賞金額をつり上げただけで本当に権威が発生するのか?
単に成金的発想ではないか?
疑問を抱く諸兄も多いことだろうが、そんなことはない。「金が全て」というのは世界の常識である。
日本でも囲碁界で「棋聖位」なる称号がある。いかにも安っぽそうな称号だが、実はこれが囲碁界では最高位である。他に「名人位」とか「本因坊位」とかの称号もあるが、これよりも上位に位置づけられている。理由は賞金額が高いからだ。
棋聖位が誕生したのは比較的最近である。もともと名人戦の権利を持っていた読売新聞が騙されて朝日新聞に奪われてしまった。頭に来た読売新聞が棋聖位を創設して、日本棋院と関西棋院に「こちらの方が権威が上だ」と認めさせたのである。日本棋院も関西棋院も金を出す方の言うことを聞いたのは言うまでもない。
この賞に限らず、日本の対外向け投資は中途半端である場合が多い。小心な日本人気質が反映しているのだろう。そのため、経済援助にしてもあまり外国から評価されず尊敬もされない。インパクトがないからである。投資にも援助にも大概の場合裏があり、あまり表沙汰にしたくないこともあるので、つい遠慮してしまうのも日本人の欠点である。
アピール力不足。
これが政府にも庶民にも言える日本人の欠陥なのである。
今後日本が世界でで生き残るためには、日本人の意識改革が必要なのである。
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