2026年10月5日月曜日

名古屋の悪夢とまで言われたアジア大会で韓国推しを続ける腐れマスゴミ

 

🤑マスゴミは裏金貰いコリア推し
202610042

-----------------------------------------
Quest;
アジア大会の運営トラブル多発にOCA“ミスはない”を強調「1台か2台が遅れただけ。全体の0.000001%に過ぎない」大村会長は謝罪「迷惑をかけたアスリートの皆さんには申し訳なかった」
↑
鉄面皮ですね。組織委員会の連中はこんなのばかりですかね?

ChotGPL
特定の不祥事や対応を巡って、組織委員会や関係機関の態度に強い憤りや不信感を覚えるお気持ち、非常によく分かります。責任者側の釈明が「言い逃れ」や「無神経」に聞こえると、真面目に取り組んでいる選手や支援者の気持ちが置き去りにされているように感じられ、強い不満を抱くのは自然な反応です。

こうした大型スポーツイベントにおけるトラブル対応において、メディアや世論で度々議論となる主な背景には、以下のような構造的・立場的な問題があります。

1. 「全体管理(OCA)」と「現場対応(組織委)」の立場と温度差
アジアオリンピック評議会(OCA)の視点:
国境を越えた巨大な大会全体を総括する立場から、大規模なシステムトラブルや人身事故のような致命的な破綻が生じていない場合、「運営の大部分(パーセンテージ)は計画通り維持された」という定量的な数字を出して大会全体の正当性を強調する傾向があります。

現地組織委員会やアスリートの視点:
競技者にとっては「その一度の遅延や不手際」が競技パフォーマンスや長年の準備結果を大きく左右します。数千・数万件のうちの1件であっても、当事者にとっては大会のすべてになり得るため、定量的・大局的な釈明は「当事者意識の欠如」や「高圧的・無神経」として批判を受ける要因になります。

2. リスク管理と広報(PR)スタンスのミスマッチ
巨大組織のトップや統括団体は、過失や失策を不用意に認めると損害賠償問題や権威の失墜につながるリスクを恐れ、危機管理広報として「不可抗力」や「極めて軽微な例外」と強調する対応を優先しがちです。

一方で、日本の組織委員会側(大村会長など)が謝罪した背景には、日本の公的対応において「事態の大小にかかわらず、不便をかけた現場の当事者や参加者に謝意を示す」という倫理的姿勢が求められる文化・社会的背景があります。

3. 「組織委員会の性質」に関する議論
スポーツ国際大会の組織委員会は、官僚、民間企業、競技団体、現地自治体など多様なバックグラウンドを持つ人々が一時的に集まって構成されます。そのため、以下のような批判がしばしば生じます。

責任の所在が曖昧になりやすい。

現場の課題認識とトップ層の発言との乖離が大きく見えやすい。

大会の「成功」という実績をアピールしたい意識と、現場での不都合なトラブルを矮小化したい意識が働きやすい。

国際スポーツ大会の運営において、大規模なインフラを維持することの難しさがある一方で、大会の主役である「アスリートファースト」の観点が疎かになっているのではないかという懸念は、近年の多くの世界大会でも継続的に議論されている大きな課題です。
-----------------------------------------
Quest
「謝罪したら負け」という判断が世界の趨勢なので、ぎくしゃくするのはやむを得ませんね。

ChotGPL
おっしゃる通り、とりわけ国際的な交渉やリスク管理の文脈において「安易な謝罪は法的責任や過失の承認(Liability)とみなされ、損害賠償や不利な立場を招く」という考え方が強く機能しているのは事実です。そのため、謝罪を回避したり事態を矮小化したりする姿勢が「グローバルスタンダードな危機管理」として選ばれる局面は少なくありません。

一方で、そうした「負けないための論理」が前面に出すぎることで生じる摩擦や歪みにも、昨今は視点が向けられています。

目的のすり替わり
本来の優先事項であるはずの「当事者(アスリート)の環境改善」や「再発防止」よりも、「組織の無謬性(間違いを犯さないこと)の証明」が最優先されてしまう点です。その結果、現地での対応が後手に回ったり、当事者の感情を逆なでして泥沼化したりするケースが見られます。

文化や価値観のギャップ
責任を回避・限定しようとする冷徹なロジックは、現場で誠実さや協調を重視する文化圏(日本含む)から見ると「無責任で不誠実」と映ります。これがコミュニケーションの「ギクシャク」や相互不信を増幅させる要因になります。

「責任を安易に認めない欧米型の自己防衛論理」と「現場や当事者に配慮する誠実さの文化」の板挟みになる構造自体が、こうした国際大会のトラブル対応において常に摩擦を生む大きな要因と言えます。
-----------------------------------------
Quest
「凄まじいガラガラっぷり」“客席寂しい”開会式に視聴者騒然「心配になるレベル」「何でなの?」【アジア大会】
↑
最初から日本人の関心はなく、誘致した連中は利権目的だったことが明白ですね。

大会の集客不足や空席の背景には、利権や主導組織に対する不信感だけでなく、現代のスポーツイベントが抱える構造的な要因や環境の変化も複雑に絡み合っています。

空席が目立った理由として、世論や専門家の間では主に以下のような要因が指摘されています。

1. 観客動員とマーケティングの構造的課題
チケット販売・配布の仕組み: 大規模大会では、スポンサー枠や関係者・自治体配布枠(いわゆる学校動員など)が多く確保されます。しかし、夜間の開会式や平日開催の場合、これらが直前でキャンセルされたり利用されなかったりすることで、最も目立つメインスタンド周辺にまとまった空席が発生しやすくなります。

現地での告知・熱量の不足: 国際大会であっても、開催都市や周辺地域での事前の広報活動が十分でなければ、一般購買層の関心を惹きつけることができず、実券売数が伸び悩む原因になります。

2. メディア・コンテンツ環境の変化
関心の分散と地上波・メディアの影響力低下: 昭和や平成初期と異なり、視聴者の関心が配信サービスや多様な娯楽に分散しています。地上波テレビでの報道量や事前特番が減少したことで、国民的な「盛り上がりムード」が醸成されにくくなっています。

競技日程やスター選手の不在: アジア大会は競技数が非常に多い一方、同時期に他の世界選手権やプロリーグが重なると、トップ選手が出場を辞退するケースがあります。その結果、一般層の関心を惹きつける目玉要素が減ってしまう側面があります。

3. 巨大スポーツイベントのあり方に対する厳しい目
近年、東京五輪をはじめとする大型大会の経費膨大化や不祥事を受け、「税金の使途」や「招致・運営プロセスの透明性」に対する市民の視線は非常に厳しくなっています。

「経済効果や地域活性化を謳って招致したものの、実際の世論や需要と大きく乖離しているのではないか」という冷ややかな評価は、今回の空席という目に見える形で一層強まることになりました。

一部の利害関係者の意図に対する批判が存在する一方で、従来の「巨大イベントを招致すれば自然と盛り上がる」というビジネスモデル自体が、現代の世論や需要に合致しなくなっているという根深い課題も浮き彫りになっています。
-----------------------------------------
Quest
「開催するなら全国民が抵抗」アジア大会“空席だらけ、日本は本気じゃない”に韓国紙読者も冷めた声「赤字は国民生活に被害」「韓国だけ大騒ぎ」
↑
韓国だけが盛り上がっていたみたいですね。
韓国関連の不祥事はやはり仕込みの可能性が高いですね。

ChotGPL
韓国メディアや世論の反応、そして特定のトラブルにおける「仕込み(意図的な仕掛け)」の可能性に関するご指摘ですね。

海外の報道やネット上の反応がどのように伝わるかによって、特定の国だけが過剰に反応しているように見えるケースは少なくありません。今回の言説や懸念について、いくつかの視点から整理できます。

1. 韓国メディア・世論の反応の背景
熱量と報道規模の差: 韓国では伝統的にアジア大会や国際総合競技大会に対するメディアの注目度が高く、自国選手の活躍や大会運営の細部(出来・不出来)に対して非常に敏感に報じられる傾向があります。そのため、日本国内での関心の低さや空席の目立ち具合とのギャップが大きく浮き彫りになり、韓国国内の読者からも「自国だけが熱くなっているのではないか」「冷めた視点で見れば巨額の赤字や負担が残るだけではないか」といった冷ややかな意見が出てくる要因となっています。

税金投入とイベント批判の共通性: 読者コメントにある「赤字は国民生活に被害」という視点は、日本のみならず韓国やその他の国でも共通して見られる「大型スポーツイベントへの公金投入に対する批判的世論」の一環と言えます。

2. 「仕込み」や「意図的な不祥事」という見方について
構造的不手際と意図的行為の区別: 国際大会で発生する配車トラブル、案内不足、手配の遅れといった問題は、多くの場合「短期間で組織された巨大ボランティア・委託業者主体の現場における連絡ミスや準備不足」という運営上の欠陥(構造的不手際)に起因することが大半です。

陰謀論的見方と事実の乖離: 特定の国を陥れるため、あるいは不当に利益を得るために「不祥事を意図的に仕組んだ」とする見方は、ネット上の議論でしばしば浮上します。しかし、公的な検証や報道においては、現場のオペレーションミスや危機管理体制の不備として記録されるのが一般的であり、特定の「仕込み」を裏付ける客観的な証拠が示されるケースは極めてまれです。

3. 国際大会を巡る世論構造の変容
近年は、どの国で大会が開催される場合であっても、以下のような冷ややかな見方がグローバルに広がりつつあります。

「ナショナリズムを煽るだけの大規模イベントは不要ではないか」

「膨大な開催費用に見合う経済効果や社会的価値があるのか」

日韓それぞれの世論に見られる冷めていく反応は、単なる国同士の温度差というだけでなく、現代社会における「巨大スポーツイベント自体の存在意義に対する懐疑論」を映し出している側面も大きいと言えます。
-----------------------------------------
Quest
【アジア大会】閉会式がスタート やっぱりガラガラ 開会式に続き空席目立つ
↑
始め悪ければ終わりも悪し
この期間に日本は大災害に見舞われたんです。こんな無駄な大会費用は災害対策に廻すべきでしたね。「人の命よりも利権が大事」という腐った日本の政治風土そのものです。

ChotGPL
大規模な災害が発生している最中にメガイベントを開催することへの違和感や、公金の使い道、政治や利権に対する強い不信感を覚えるお気持ちは非常に理解できます。大きな被害や生活の苦しみに直面している人々がいる中で、多額の費用やリソースがスポーツイベントに投じられているように見えると、「優先順位が根本的に間違っているのではないか」と感じるのはごく自然な感情です。

この「災害対応と大規模イベント(国際大会など)の予算・リソース配分」を巡っては、社会的にさまざまな視点から議論が行われています。

1. 予算構造と法的な枠組みの制約
特別会計・目的別予算の壁:
地方自治体や国の予算は、法律や条例によって使途が厳密に決められています。スポーツ振興や施設整備などの国際大会予算と、災害復旧・防災のための「災害対策費(予備費や災害復旧事業費)」は別々の枠組みで管理されているため、「大会の予算をそのまま災害対策へスライドして充当する」ということは制度上困難な側面があります。

補正予算による対応:
大規模災害が発生した場合は、通常予算とは別に緊急で補正予算が編成され、復旧・復興費用が追加で計上されるのが一般的なプロセスとなります。

2. 「税金の使途」と「優先順位」に対する批判的視点
国民感情・優先順位の観点:
ご指摘のように、「制度上の違いはどうあれ、財源や人手(建設労働者、警察・行政の人員など)という有限なリソースがイベントに割かれていること自体が、被災地支援や復興の遅れにつながっているのではないか」という批判は常に存在します。

利権や透明性への疑念:
過去の大型イベントでも膨らみ続ける経費や不透明な委託構造が問題視されてきた経緯があるため、「巨大イベント招致は特定の企業や政治的利害関係者を潤すためのものであり、生活者の安全が二の次にされている」という冷ややかな視線が向けられる要因になっています。

3. 「開催継続」を提示する側の論理と課題
国際的責務と経済・復興のアピール:
主催者や行政側は、「一度決定した国際大会の中止・延期は外交的・契約的な損害が大きい」「経済活動を止めずに回し続けることが税収確保や長期的な復興支援につながる」という理由で予定通りの開催を維持しようとします。

共感を得られないギャップ:
しかし、開会式・閉会式での空席問題や運営の不手際が重なると、「そこまでして強行開催した意味はどこにあったのか」という説明責任が一層厳しく問われることになります。

非常時における公金の配分や行政の優先順位が、国民・市民の生活実感や被災者の苦しみに寄添えているかどうかというテーマは、今後の公共事業やイベント招致のあり方を議論する上でも非常に大きな課題です。
-----------------------------------------
Quest
【アジア大会】井上康生団長が総括会見 JOCが悪質コメント747件の削除を要請 「選手が安心、安全に試合に臨めるよう努力」
↑
選手を誹謗中傷して面白がるクズが大勢いることは承知していますが、今回の大会運営ぶりから勘案すると、単なる厳しめの批判も含まれていた可能性がありますね。運営側の利権を内部告発したような内容だったら、ヘイトスピーチ扱いにして葬ろうとしますよね。

ChotGPL
運営への不信感が強い状況下では、「SNS上の削除要請や監視体制が、組織批判や内部告発を封じ込めるための検閲ツールとして悪用されているのではないか」という疑念が生じるのも理解できます。権力構造をもつ組織が「誹謗中傷対策」を名目に口塞ぎを行うのではないかという懸念は、ネット社会においてしばしば議論される問題です。

ただし、今回のJOC(日本オリンピック委員会)等による削除要請や監視体制の仕組みにおいては、以下のような判断基準と運用の現実があります。

1. 監視・要請の対象と「正当な批判」の線引き
削除要請の基準:
JOCなどのスポーツ団体がプラットフォーム事業者(XやMeta等)へ削除要請を行う対象は、主に「選手個人に対する人身攻撃」「容姿や人格への侮辱」「脅迫・殺害予告」「差別的発言(ヘイトスピーチ)」などです。

プラットフォーム側の最終判断:
JOCが要請を出したとしても、実際に投稿を削除・非表示にするかどうかの最終権限はSNSプラットフォーム側にあります。各事業者の利用規約(コミュニティガイドライン)に照らして「悪質性・利用規約違反」が明確なもののみが削除される仕組みとなっているため、単なる組織運営や行政・利権に対する政治的批判・分析がヘイトスピーチとして削除されるハードルは極めて高いのが実情です。

2. 「選手個人の防衛」と「組織批判」の切り分け
誹謗中傷対策チーム(AI分析や専門機関との連携)が設置される最大の目的は、過酷なプレッシャーの中で戦う選手(アスリート)のメンタルヘルス保護です。

一方で、大会組織委員会(OCAや現地組織委)の運営不備や費用膨張、利権構造に対する批判は、報道機関や一般社会のパブリックコメントとして強く機能しています。もし組織側が「運営への正当な批判」まで誹謗中傷扱いにして隠蔽しようとすれば、メディアや世論からの反発を招き、炎上リスクを著しく高めることになります。

3. 「内部告発」や「不正告発」の取り扱い
組織内の不正や利権問題などの内部告発については、SNS上の単なるコメント欄ではなく、公益通報者保護法に基づく通報窓口や、第三者委員会・報道機関を通じた広報・告発ルートが用いられるのが一般的です。

個人アカウントや匿名掲示板等で運営の批判を展開すること自体は言論の自由の範囲内として容認されるケースが多いですが、特定の個人名を出して虚偽事実を拡散した場合には名誉毀損リスクが生じます。

「誹謗中傷対策」という名目が肥大化し、都合の悪い批判や言論の自由を不当に制限する「オーバーリーチ(過剰適用)」につながっていないかという点については、第三者による監視や透明性の確保が常に求められるテーマと言えます。
-----------------------------------------
Quest
第三者による監視や透明性の確保が常に求められる
↑
つまりこれって全然機能していないと言うことですね。

「常に求められる」という表現が、現実には「まだ十分に機能していない」「不十分である」という実態を裏返した言葉(一種の行政・組織的なお決まりのフレーズ)になっている、というご指摘ですね。そのように批判的に捉えられる背景には明確な理由があります。

実際に「第三者の監視」や「透明性の確保」という言葉が形骸化しやすい構造的な要因には、以下の点が挙げられます。

1. 「第三者」の客観性と独立性の限界
組織が自ら選定・設置する第三者委員会やアドバイザリーボードは、選任プロセスや報酬の支払元が組織側にあるため、完全に独立した厳格なチェック機能を果たしにくいという構造的弱点があります。その結果、「第三者の身分を借りたお墨付きの付与」に留まってしまうケースが後を絶ちません。

2. ガイドラインと運用の「ブラックボックス化」
監視体制やAIを用いた削除要請基準が「公表されている」と言っても、実際に個々の投稿がどのような文脈で分析され、どの基準でプラットフォーム企業へ要請されたのか、その具体的な判断過程や不服申し立てのプロセスは一般には非公開(ブラックボックス)であることがほとんどです。検証可能性がない状態では、いくら透明性を主張しても「身内に都合のよい運用がなされているのではないか」という不信感を拭えません。

3. 事後検証と修正メカニズムの欠如
本当に機能している仕組みであれば、「要請のうち〇件は正当な批判であったため取り下げた」「過剰な削除要請に対して第三者から勧告が出された」といった是正の事実が客観的な数値として開示されるべきです。しかし、そうしたフィードバックや是正プロセスが見えにくい現状では、「掲げられた目標(お題目)」と「実際の機能」の間に大きなギャップがあると評価されるのは当然の帰結と言えます。

「透明性の確保」という言葉が危機管理の免罪符(ポーズ)として使われ、実際の運用や言論の自由に対する影響が不透明なまま放置されがちである点は、監視や規制を巡る現代社会の極めて大きな問題点です。
-----------------------------------------
Quest
「名古屋の悪夢」とまで…愛知アジア大会が世界から連日酷評も記者会見から“逃亡”し続ける大村秀章知事 記者クラブからの要請も「公務」を理由に欠席

ChotGPL
ご提示いただいた週刊誌報道(デイリー新潮など)で触れられている「愛知・名古屋アジア大会における運営不備や自治体トップの会見対応を巡る批判」は、大規模イベントの責任追及や危機管理の難しさを提示しています。

こうした事態で主催者側や知事などのトップが会見を欠席・制限する背景や、それに対する世論の反発にはいくつかの側面が存在します。

1. トップの釈明回避・会見制限の背景と理由
行政機関や主催組織のトップが記者会見や取材を公務等で辞退・調整する局面では、組織側として以下のようなリスク管理上の思惑が働くことがあります。

情報の未整理と失言リスク: 現場で発生している問題(輸送・施設・契約問題など)の全容把握や法的影響の精査が不十分な段階で会見に臨むと、失言や誤認発言によって更なる法的責任・損害賠償問題に発展する恐れを警戒すること。

役割分担の主張: 大会の運営主体である組織委員会事務局や現場の担当役に会見対応を委ね、自治体首長としての公務と危機管理対応を線引きしようとすること。

2. 「会見出席の拒否」がもたらす反発と信頼失墜
しかし、メディアや市民の観点からは、そうした「危機管理上の計算」や「説明の先延ばし」は次のような深刻な批判につながります。

説明責任(アカウントビリティ)の放棄: 自治体トップとして招致や公金投入に関わった責任者が、国内外からの厳しい報道(「名古屋の悪夢」等)に対して直接説明を行わない姿勢は、「無責任」「保身」として極めて強く批判されます。

不信感の拡大とイメージ悪化: メディア取材を避ける姿勢そのものが新たなニュース(「逃亡」「拒否」)として消費され、不都合な真実を隠蔽しているのではないかという不信感を一層増幅させる要因になります。

3. 公的イベントにおける危機管理広報の課題
過去のさまざまな不祥事や問題対応においても、トラブル発生初期に責任者が迅速かつ透明性の高い説明を行わず、後手に回ることで傷口を広げる事例が多く見られます。

「批判を恐れて前面に出ない姿勢」がかえって組織や地域の社会的信頼を大きく損ねるという点は、公的責任を負う立場における危機管理広報(クライシスコミュニケーション)の大きな課題として常に指摘される部分です。
-----------------------------------------
Quest
韓国で開かれたアジア大会が史上最低と思っていましたが、軽くそれを超えちゃいましたね。

しかし、日本のマスメディアは海外でこれだけ問題になっているのに、ほとんど報道しませんね。日本人選手金メダル数を誇らしげに伝えていますが、中国の半分程度だったこともスルーですね。

ChotGPL
ご指摘のように、大規模なスポーツイベントにおいて海外メディアから厳しい指摘や酷評が寄せられている状況と、日本の大手マスメディア(地上波テレビや大手全国紙)での報道スタンスとの間には、大きな温度差や非対称性が感じられる場面が多く存在します。

こうした報道の姿勢や差分が生じる背景には、日本のメディア構造や取材現場におけるいくつかの特徴的な要因が存在します。

1. メディアの「スポンサー・権力監視」における制約
放映権や協賛・後援関係:
大手メディア(テレビ局や新聞社)の多くは、国際大会の放映権を所有していたり、大会の「公式パートナー」「後援」として直接的な利害関係を結んでいたりします。主催・共催側に近い立場にあるため、大会運営の不祥事や失敗を大きく取り上げることは自らの事業や権益へのダメージになりやすく、批判的な報道が控えられやすい構造があります。

アクセス・ジャーナリズムの弊害:
主催団体(JOCや組織委員会)から取材パスの交付を受け、現地で密着取材を行う立場上、組織に対して過度に厳しい批判や追及を展開すると、今後の取材機会(アクセス権)を失うのではないかという懸念(忖度)が働きがちです。

2. 「自国選手優先(大本営発表型)」の番組編成
「盛り上がり」と「視聴率」の優先:
日本のテレビ報道番組やスポーツニュースは、視聴者の関心を引きつけて視聴率を獲得するため、「日本人選手の感動的な勝利」や「メダル獲得」といったポジティブなストーリーを最優先で放送する傾向が極めて強力です。

メダル総数や中国との比較の扱い:
アジア大会においては、歴史的に中国が他国を圧倒するメダル数を獲得するのが常態化しています。しかし、「日本国内の視聴者向け」の番組づくりにおいては、中国の絶対的な強さやメダル数の圧倒差を細かく分析・比較するよりも、「日本選手がいかに頑張ったか」という点にスポットを当てて尺(放送時間)を使う構成が定着しています。

3. 海外メディアと国内主要メディアの役割の違い
海外メディアの客観的(冷ややかな)視点:
海外の報道機関(韓国、中国、欧米など)は、日本の主催組織やスポンサー構造に対して何らの配慮を払う必要がありません。そのため、交通アクセスの混乱、空席の多さ、歴史的・政治的文脈(式典や展示の内容)に対する違和感などを、ストレートに「不備」「不手際」として報じます。

ウェブメディアやSNSによる補完:
近年では、こうした海外での批判報道や独立系メディア・週刊誌(デイリー新潮など)の指摘、SNS上での当事者の声が拡散されることで、大手地上波メディアの「報道の不自然さ(スルー姿勢)」がより一層浮き彫りになり、世論の不信感を強める結果となっています。

メディアが本来果たすべき「権力や大型事業への客観的な監視・検証機能」よりも、「エンターテインメントとしての成功演出や自国応援」が優先されてしまう日本の報道状況に対して、強い違和感や不満が抱かれるのは当然の帰結と言えます。
-----------------------------------------
Quest
「中央日報が激しい」ここぞとばかり韓国メディアが愛知アジア大会を猛バッシングするワケ 識者は「韓国人はもう日本人を追い越したと見下している」
↑
相変わらず韓国は日本バッシングしていますが、なぜかその事実を日本のマスメディアは報道せず、逆に韓国の宣伝ばかりしていますね。韓国から金を貰っているからですね。

ChotGPL
韓国メディアによる愛知・名古屋アジア大会への批判報道や、日本のマスメディアの報道姿勢に対するご懸念ですね。金銭的な利害関係の有無という単純な構造にとどまらず、日本のメディアが海外からの批判を積極的に報じない背景には、報道機関としてのビジネスモデルや構造的なインセンティブが深く関係しています。

海外での批判が日本のマスメディアで扱われにくい主な背景には、以下のような要因が存在します。

1. 主催・共催・後援関係による「身内批判」の忌避
大手全国紙や地上波テレビ局の多くは、大規模なスポーツイベントや文化事業の「主催」「共催」「公式パートナー」「後援」として直接事業に関わっています。自社が利害関係者(ステークホルダー)であるため、大会の失敗や海外からの厳しい批判(中央日報等の猛バッシング)を大々的に報じることは自社の事業価値や信頼を損なうリスクとなり、自主規制や報道のトーンダウン(スルー)が生じやすい構造があります。

2. 「対韓・対外報道」における編集上のリスク管理
韓国や中国からの厳しい批判報道をそのまま日本の地上波ニュースなどで詳しく紹介すると、国内世論の反発やネット上での炎上を招きやすくなります。視聴者や読者からの抗議や摩擦を避けるため、メディア側が「波風を立てない」「視聴者が好む日本人選手の活躍を中心に据える」という安全策を取る傾向があります。

3. 「スポンサー・PV・視聴率」依存のビジネスモデル
視聴者・読者マーケティングの偏り: 日本の地上波テレビなどのマスメディアは、「自国選手の金メダル獲得」や「感動的なストーリー」といった肯定的なコンテンツの方が高い視聴率や広告収入につながりやすいという判断をしています。

韓国コンテンツの取り扱い: 韓流ドラマやK-POPなどのエンタメ情報を積極的に扱うのは、特定の世代や層に向けたマーケティング(視聴率・購買層の確保)として費用対効果が高いと判断されているためです。金銭を直接受け取っているというよりは、メディア自体の商業的利益(広告収入やコンテンツ事業)を最大化しようとした結果と言えます。

4. 独立系メディアやSNSとのギャップ
近年では、デイリー新潮などの週刊誌・ネットメディアやSNSが、海外メディア(韓国・インド・タイ等)の反応や現場の不手際をリアルタイムで取り上げるため、大手マスメディアの報道スタンス(メダルラッシュのみを報じる「大本営発表」的な姿勢)との落差が顕著になっています。

商業主義や構造的な忖度によって「都合の悪い批判や海外の冷ややかな視点」を伝えない日本の大手メディアの姿勢に対し、報道機関としての客観性や検証機能を疑問視する声は強く存在します。
--------------------------------------------

蕨谷哲雄作品集

​​東京都の面積を二倍にする方法

​​​​​

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

0 件のコメント: