2018年8月24日金曜日

朝鮮朝日新聞が謝罪記事隠蔽タグ!我が社の慰安婦捏造謝罪記事を検索するな

朝日新聞、訂正・謝罪記事がGoogleなどの検索結果に出てこないように「検索避け」を設定していた
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1535040351/

2014年、朝日新聞が80年代から90年代にかけての従軍慰安婦関連の報道を取り消すと発表したが、これを英語で伝える記事「Testimony about 'forcible taking away of women on Jeju Island': Judged to be fabrication because supporting evidence not found」にはGoogleなどの検索結果に出てこないよう「」タグが埋め込まれていることが話題になっている(Togetterまとめ)。
なお、朝日新聞ではほかの訂正・謝罪記事などでも同様のタグが埋め込まれており、訂正・謝罪記事については検索できないようにするという方針があるのかもしれない。

\(`o'") 巷間の意見>>
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消したぞー

【こっそり削除】朝日新聞さん、4年前の英訳謝罪記事を突然本日更新→「検索避けメタタグ」が消える
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1535029090/
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(_ _。) 巷間の意見>>
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無駄
証拠は取られてる


朝日新聞、吉田証言虚偽訂正記事の英語版にGoogle検索を回避する“メタタグ”を埋め込んでいた
ソースコードの48行目に

とある
これはGoogle検索を回避するメタタグである


朝日新聞がGoogle避けのメタタグを仕込んでいたページ(その1)
Testimony about 'forcible taking away of women on Jeju Island': Judged to be
fabrication because supporting evidence not found
(「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断)
http://www.asahi.com/articles/SDI201408213563.html

魚拓
http://archive.is/t2J2h

インターネットアーカイブ
https://web.archive.org/web/20180617142216/https://www.asahi.com/articles/SDI201408213563.html
https://web.archive.org/web/20180819180011/https://www.asahi.com/articles/SDI201408213563.html

ソースコードのキャッシュ画像
https://i.imgur.com/zIFJHsb.png

※画像の48行目 ??
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(´・Д・`) 一応翻訳しときますね。
https://www.asahi.com/articles/ASG7L71S2G7LUTIL05N.html

私たちは、吉田が強制的に済州の慰安婦を連れ去ったという証言が製作であったと判断した。私たちは彼の記事を撤回する。記事が出版された時点で彼の証言の偽りを明らかにすることはできなかった。済州についてはさらなる研究が行われたが、証言を裏付けるいかなる情報も得られなかった。研究者とのインタビューでも、彼の証言の中核要素について数多くの矛盾が浮かび上がった。(以上直訳)
 
〈疑問〉日本の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。

特集:慰安婦問題を考える
男性は吉田清治氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。

朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回、記事にした。初掲載は82年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内での講演内容として「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。

90年代初め、他の新聞社も集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。

92年4月30日、産経新聞は朝刊で、秦郁彦氏による済州島での調査結果を元に証言に疑問を投げかける記事を掲載。週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。

東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという。

97年3月31日の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者(57)との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。

しかし、自民党の安倍晋三総裁が2012年11月の日本記者クラブ主催の党首討論会で「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言。一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。

今年4~5月、済州島内で70代後半~90代の計約40人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった。

干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に携わった地元男性(故人)の息子は「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。「かやぶき」と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する立命館大の河原典史教授(歴史地理学)が入手した当時の様子を記録した映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。

93年6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑(カンジョンスク)さんは「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語った。

吉田氏は著書で、43年5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。しかし、今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていなかったことがわかった。吉田氏は00年7月に死去したという。

吉田氏は93年5月、吉見義明・中央大教授らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している=注①。

戦時中の朝鮮半島の動員に詳しい外村大・東京大准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は厚生省と内務省の指示で作られた組織だとし、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す。

吉田氏はまた、強制連行したとする43年5月当時、済州島は「陸軍部隊本部」が「軍政を敷いていた」と説明していた。この点について、永井和・京都大教授(日本近現代史)は旧陸軍の資料から、済州島に陸軍の大部隊が集結するのは45年4月以降だと指摘。「記述内容は事実とは考えられない」と話した。

読者のみなさまへ

吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。

     ◇

注① 吉見義明・川田文子編「『従軍慰安婦』をめぐる30のウソと真実」(大月書店、1997年)
………………………………

(´・Д・`) 1時間かけて翻訳してたんですが、朝日新聞が訳を載せてました。

(・ω・) 巷間の意見>>
………………………………
記事を訂正、おわびしご説明します 朝日新聞社
慰安婦報道、第三者委報告書
http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122337.html

記事を訂正、おわびしご説明します 朝日新聞社
慰安婦報道、第三者委報告書
慰安婦問題を報じた本紙記事について、第三者委員会から不正確で読者の誤解を招くものがあるといった指摘を受けました。これまでの訂正・記事取り消しなどに加え、独自に検討を進めてきた結果を踏まえて必要な訂正をします。読者の皆様におわびし、理由を説明いたします。訂正などにあたってのわかりやすい提示方法について今後も検討し、改善を重ねます。

「軍関与示す資料」の記事について
「従軍慰安婦」用語メモを訂正

「従軍慰安婦 1930年代、中国で日本軍兵士による強姦(ごうかん)事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊(ていしんたい)の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」(92年1月11日付朝刊1面)
これは、日韓首脳会談のために当時の宮沢喜一首相が訪韓する前、「慰安所 軍関与示す資料」という見出しの記事と併せて掲載した用語説明メモです。
慰安婦については、今も実態がはっきりしない点が多くあります。現在までの研究成果や知見を踏まえると、このメモには誤りや不正確な表現があります。90年代から疑問を指摘されていた点もありました。長期間にわたり読者の誤解を招く表現を放置し、対応を怠ったことをおわびし、訂正します。
誤りは、慰安婦と挺身隊を混同したことです。女子挺身隊とは軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、兵士らの性の相手をさせられた慰安婦とはまったく別のものです。
また、慰安婦の数や朝鮮人女性の比率も、現在の知見に照らすと不正確でした。日本人を含めた慰安婦の総数を示す公式記録は見つかっておらず、国内の研究者の推計も変化しています。民族ごとの比率も明確な資料は見つかっていません。
現代史家の秦郁彦氏は93年に6万~9万人とし、99年には2万人前後と修正しました。吉見義明・中央大教授(日本近現代史)は95年に5万~20万人と推計し、最近は5万人以上としています。日本人や他の民族の慰安婦が全体に占める比率も諸説あり、確定していません。
第三者委の報告書はこのメモについて、「あたかも挺身隊として『強制連行』された朝鮮人慰安婦の人数が8万人から20万人であるかのように不正確な説明をしている点は、読者の誤解を招くものであった」と指摘しました。また、「集積された先行記事や関連記事等から抜き出した情報をそのまま利用したものと考えられる」と述べ、「当時は必ずしも慰安婦と挺身隊の区別が明確になされていない状況であったと解されることを考慮しても、まとめ方として正確性を欠く」としています。
 朝日新聞は今年8月、慰安婦と挺身隊の混同があった記事について、該当の表現を過去記事を閲覧できるデータベースから削除せず、おことわりをつけて確認できるようにしました。
 この用語説明メモについては、今後、「慰安婦と挺身隊の混同があり、『主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した』という表現は誤りでした。これまでの知見では、慰安婦の数や朝鮮人女性の比率もはっきりわかっていません」といったおことわりをつけます。

第三者委「政治課題となるよう企図」

1992年1月11日付の朝刊1面で「慰安所 軍関与示す資料」との見出しで報じた記事をめぐっては、他のメディアなどから疑問が出されていました。
記事は、防衛庁防衛研究所図書館所蔵の公文書に、旧日本軍が現地部隊に慰安所の設置を命じたことを示す文書などが見つかったという内容です。政府は当時、国会答弁で国の関与を認めていませんでした。この記事の掲載は宮沢喜一首相が同月16日から訪韓する直前で、前文(リード)でも「政府として新たな対応を迫られるとともに、宮沢首相の16日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされたことになる」と書いていました。
記事への主な疑問は、(1)資料を早く入手していたのに、首相訪韓直前のタイミングを狙って記事にしたのではないか(2)韓国や日本国内で、慰安婦の強制連行に軍が関与したというイメージを世論に植え付けようとしたのではないか、という点です。(1)について、第三者委の報告書は「(首相訪韓直前のタイミングを狙った)実態があったか否かは、もはや確認できない」としたうえで、前文の表現などから「訪韓の時期を意識し、慰安婦問題が政治課題となるよう企図して記事としたことは明らか」と指摘しました。(2)については、「記事には誤った事実が記載されておらず、記事自体に強制連行の事実が含まれているわけではないから、朝日新聞が本記事によって慰安婦の強制連行に軍が関与していたという報道をしたかのように評価するのは適切でない」としています。

「元慰安婦、初の証言」の記事について
「女子挺身隊」「連行」の記述訂正

「日中戦争や第2次大戦の際、『女子挺身(ていしん)隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり……」(91年8月11日付朝刊社会面〈大阪本社版〉)
これは、「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」との見出しで掲載した記事の前文部分です。記事は、韓国人の元慰安婦の一人が初めて、自らの過去を「韓国挺身隊問題対策協議会」に証言したことを、録音テープをもとに伝えました。
しかし、同記事の本文はこの女性の話として「だまされて慰安婦にされた」と書いています。この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません。
前文の「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され」とした部分は誤りとして、おわびして訂正します。
第三者委員会に対し、筆者の植村隆・元記者(56)は「あくまでもだまされた事案との認識であり、単に戦場に連れて行かれたという意味で『連行』という言葉を用いたに過ぎず、強制連行されたと伝えるつもりはなかった」との趣旨の説明をしたといいます。
第三者委は報告書で、「だまされた」事例であることをテープ聴取で明確に理解していたにもかかわらず、この前文の表現は「『女子挺身隊』と『連行』という言葉の持つ一般的なイメージから、強制的に連行されたという印象を与える」などと指摘しました。
また報告書は、挺身隊と慰安婦の混同について、91年から92年ころにかけて両者の違いが急速に意識されるようになるまでは、「両者を混同した不明確な表現が朝日新聞に限らず多く見られたという実態があった」との見解を示しました。朝日新聞は今年8月の検証記事で、この記事に「意図的な事実のねじ曲げはない」と結論づけました。報告書はそれだけでなく、「読者に正確な事実を伝えるという観点から、前文部分の記載内容も含め、さらに踏み込んで検討すべきであった」としました。この指摘についても、重く受け止めます。
この記事には、過去記事を閲覧できるデータベース上で、挺身隊の混同がみられたことから誤用したことを示すおことわりをつけています。今後、改めて、「この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません」といったおことわりをつけます。

第三者委 元記者の「事実ねじ曲げ」否定

植村氏が91年に書いた記事2本には、他メディアから疑問が示されていました。
一つは、91年8月、録音テープの提供を受けて元慰安婦の証言を匿名で報じた際、後に元慰安婦らの裁判を組織した韓国の別団体「太平洋戦争犠牲者遺族会」の幹部だった義母のつてで取材し、裁判を有利に進めるために記事を書いたり内容を変えたりしたのではないかという疑問です。
この点について第三者委は、植村氏から「ソウル支局長から紹介を受けて挺対協のテープにアクセス(接触)した」という説明を受けたとし、前年に韓国で元慰安婦を捜す取材をした経緯も踏まえ、この説明を「不自然ではない」としました。北海道新聞が直後にこの元慰安婦を直接取材し、実名で報じたことにも触れ、「記事を書くについて特に有利な立場にあったとは考えられない」「縁戚関係にある者を利する目的で事実をねじ曲げた記事が作成されたともいえない」と結論づけました。
また、この元慰安婦がキーセン(妓生)を育成するための学校に通っていた経歴を書かなかったことへの疑問も出ていました。報告書は、植村氏が続報記事「かえらぬ青春 恨の半生」(91年12月25日付大阪本社版朝刊5面)を書いた時点で、この元慰安婦らが起こした裁判の訴状などから経歴を知っていたとし、こう指摘しました。
「キーセン学校のことを書かなかったことにより、事案の全体像を正確に伝えなかった可能性はある。『キーセン』イコール慰安婦ではないとする(植村氏の)主張は首肯できるが、それならば、判明した事実とともに、キーセン学校がいかなるものであるか、そこに行く女性の人生がどのようなものであるかを描き、読者の判断に委ねるべきであった」

吉田清治氏関連の記事について
新たに2本、全文・一部取り消し

朝日新聞は今年8月5日付の検証紙面で、吉田清治氏(故人)を取り上げた記事16本を取り消しました。
吉田氏は存命中、日本の植民地だった韓国・済州島で戦時中、女性を慰安婦にするため暴力を使って無理やり連れ出したと証言していました。
記事取り消しは、吉田氏の証言を虚偽だと判断したためでした。8月以後、改めて過去の報道を再調査した結果、吉田氏の虚偽証言に基づく記事がほかにも3件掲載されていたことを確認しました。個々の記事には次のように対応し、長期間を要したことをおわびいたします。
「連載 韓国・朝鮮人2(27) 命令忠実に実行 抵抗すれば木剣」(80年3月7日付川崎・横浜東部版)は全文を取り消し、掲載したことをおわびします。
この記事は、吉田氏への取材をもとに「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」などと伝えています。
しかし、研究者らへの取材などから、吉田氏が所属したとする山口県労務報国会は、指揮系統からみても職員が直接朝鮮に出向くことは考えにくいと判断しました。慰安婦に関する吉田氏の証言を取り上げた記事と同様に、証言を虚偽と判断して扱います。
「連載 うずく傷跡 朝鮮人強制連行の現在(1) 徴用に新郎奪われて」(84年1月17日付夕刊社会面〈大阪本社版〉)についても、吉田氏の証言に関する部分を取り消し、おわびします。この記事は、吉田氏が朝鮮人強制連行業務の一端に連なった、と書き、同氏が韓国・天安に建てた謝罪の碑の除幕式の様子を紹介しました。除幕式があったのは事実ですが、前記の連載記事と同じ理由で証言を虚偽だと判断します。
一方、「朝鮮人こうして連行 樺太裁判で体験を証言」(82年10月1日付社会面)は、東京地裁に証人として出廷した吉田氏が朝鮮人の連行に加わったとの証言を採録し、「朝鮮人徴用業務に直接携わった『労務報国会』の元幹部が初めて証人として出廷、『朝鮮人狩り出し』と呼んでいた強制連行の実態を証言した」などと記しています。
これまでの取材から、吉田氏の証言に信用性はなく虚偽と考えられます。ただ、裁判という司法手続きでの証言の内容は取り消しや訂正になじまないと考え、この記事にはデータベース上で「吉田氏の証言に信用性はなく、虚偽だと考えられます」とのおことわりをつけます。

吉田証言の初報の筆者について
十分解明できず

朝日新聞は今年8月の記事で、吉田清治氏が韓国・済州島で女性を強制連行したとする証言を最初に報じた記事「朝鮮の女性 私も連行」(1982年9月2日付大阪本社朝刊)について、当時の大阪社会部の記者(67)が筆者と伝えた後、9月29日付朝刊社会面で、この元記者が筆者ではないとの記事を掲載し、おわびして訂正しました。
 その際、別の元記者(66)が「初報は自分が書いた記事かもしれない」と名乗り出たと説明しました。
 今回、第三者委員会の調べに対し、名乗り出た元記者は、証言の場となった講演会場に赴いて写真の撮影はしたが、記事執筆の点を含めて細かい記憶はないといった説明をしています。
 朝日新聞は当時の大阪社会部デスクらにも取材しましたが、この初報の筆者を特定できませんでした。十分に解明できなかった点をおわびします。


吉田清治氏を取り上げ、取り消しなどの対象となった主な本紙記事

掲載日    見出し    記事の内容
●1980年3月7日朝刊(川崎・横浜東部版)    連載 韓国・朝鮮人2(27) 命令忠実に実行 抵抗すれば木剣    吉田氏への取材をもとに「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」などと記述。現地で警官とともに若者100人を集め、労働力として日本へ送り、抵抗する者には暴力を使ったとする証言を紹介
82年9月2日朝刊(大阪本社版)    朝鮮の女性 私も連行 暴行加え無理やり    大阪市内であった集会で吉田氏が行った講演内容をまとめた。吉田氏は、直接指揮して日本に強制連行した朝鮮人は約6千人、うち950人が慰安婦だった、と説明した
83年10月19日夕刊    韓国の丘に謝罪の碑 「徴用の鬼」いま建立    6千人の朝鮮人を日本に強制連行し「徴用の鬼」と呼ばれた、と吉田氏を紹介。田んぼや工場、結婚式場にまで踏み込んで若者たちを手当たり次第に駆り立てた、などと活動を説明している
83年11月10日朝刊    ひと 吉田清治さん    「国家による人狩り、としかいいようのない徴用が、わずか三十数年で、歴史のヤミに葬られようとしている」などの吉田氏の発言をとり上げた
83年12月24日朝刊    たった一人の謝罪 韓国で「碑」除幕式    吉田氏が韓国に建てた「謝罪の碑」の除幕式の様子を報じた。「私は戦前数多くのあなた方を強制連行した張本人」などの発言を紹介
●84年1月17日夕刊(大阪本社版)    連載 うずく傷跡 朝鮮人強制連行の現在(1) 徴用に新郎奪われて    本文冒頭で、吉田氏が朝鮮人強制連行業務の一端に連なった、と書き、同氏が韓国・天安に建てた謝罪の碑の除幕式の様子を紹介
86年7月9日朝刊    アジアの戦争犠牲者を追悼 8月15日、タイと大阪で集会    吉田氏について、慰安婦を含む朝鮮人の強制連行の指揮に当たったと言及している
90年6月19日朝刊(大阪本社版)    名簿を私は焼いた 知事の命令で証拠隠滅    「多くの朝鮮人女性を従軍慰安婦として連れ去ったこともあります。当時の私は、徴用の鬼、といわれて誇りに思っていました」と吉田氏の発言を記載
○91年5月22日朝刊(大阪本社版)    女たちの太平洋戦争 従軍慰安婦 木剣ふるい無理やり動員    吉田氏が「私が今日、最も恥ずべきこと、心を痛めている問題の一つは、従軍慰安婦を950人強制連行したことです」などと語った内容を、集会での発言を収録した本を引用して紹介
91年10月10日朝刊(大阪本社版)    女たちの太平洋戦争 従軍慰安婦 乳飲み子から母引き裂いた    吉田氏のインタビュー記事。慰安婦を強制連行したとして、「若い母親の手をねじ上げ、けったり殴ったりして護送車に乗せるのです」などと語っていた
92年1月23日夕刊    窓 論説委員室から 従軍慰安婦    「(慰安婦を)戦場に運び、1年2年と監禁し、集団強姦(ごうかん)し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した」などと吉田氏の発言を紹介
92年3月3日夕刊    窓 論説委員室から 歴史のために    吉田氏の告白に多くの投書が来たことに触れ、日本軍の残虐行為を否定する意見を紹介。知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない、と結んだ
92年5月24日朝刊    今こそ 自ら謝りたい 連行の証言者、7月訪韓    吉田氏が韓国に謝罪の旅に出ることを報じた。「残虐行為に直接かかわった日本人が謝罪に来た、という歴史を残したい」との発言にも触れた
92年8月13日朝刊    元慰安婦に謝罪 ソウルで吉田さん    吉田氏が韓国で元慰安婦に謝罪した様子を報じた
94年1月25日朝刊    政治動かした調査報道    朝鮮に渡って強制的に慰安婦を送り出した元動員部長の証言に、読者から驚きの電話が何十本も届いた、と吉田氏を匿名で紹介
今回新たに取り消しや一部取り消しとする記事2本(掲載日の冒頭に●印)と、8月に取り消した16本のうち紙面で公表できる記事13本を併せて示します。
91年5月22日付の記事(掲載日の冒頭に○印)は著作物の引用が多いため公表を見合わせていましたが、第三者委員会が対象から除外するのは適切でないと指摘したことを踏まえ、掲載します。
外部の方が書かれた「声」欄の投稿や「論壇」「私の紙面批評」への寄稿の3本は、引き続き紙面では公表しないことが適当と判断しています。
これらすべての記事について、朝日新聞の過去記事を閲覧するデータベースからは削除せず、吉田清治氏の証言は虚偽だと判断したことを示すおことわりをつけます。
(朝日新聞 2014年12月23日 朝刊37ページ 東京本社)
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(´・Д・`) 消されないように残しておきます

(ι`・ω・´)ノ 巷間の意見>>
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ケントの質問状にドヤ顔で答えといてこれかよw

【慰安婦問題】英文記事の表現や吉田氏証言撤回の事実の告知など、ケント・ギルバート氏らの申し入れに朝日新聞社が回答 ★2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1532402865/
1 名前:プティフランスパン ★[] 投稿日:2018/07/24(火) 12:27:45.72 ID:CAP_USER
2018年7月23日18時6分 朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/sp/articles/ASL7R3V5PL7RULZU00D.html?iref=sp_new_news_list_n

 慰安婦問題に関して朝日新聞デジタルに掲載された英文記事の特定の表現を使わないよう求める申し入れがあり、
朝日新聞社は23日、「記事でどんな表現を使うかは、個々の状況や文脈に応じてその都度、判断します」と説明した上で、「申し入れに応じることはできません」と回答した。

 米カリフォルニア州弁護士のケント・ギルバート氏と、海外在住日本人らでつくる団体代表の山岡鉄秀氏らが6日に申し入れた。
特定の英語表現について「軍隊による物理的な強制という印象を受ける」と主張。「慰安婦をかり出した」とする吉田清治氏証言の記事を撤回した事実を英文で告知することも求めた。

 朝日新聞社は英語表現について「意に反して性行為をさせられたという意味です」と説明した。
吉田証言をめぐる英文の告知については「朝日新聞デジタルで2014年8月に掲載し、現在も全文閲覧できます」と答えた。

 朝日新聞社は23日に回答文を出し、全文を「お知らせ」サイトに掲載した。
https://www.asahi.com/corporate/info/11699916
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(´・Д・`) 閲覧はできるが検索できないということのようです。

ヽ(τωヽ)ノ 巷間の意見>>
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よく潰れないな
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(´・Д・`) CIA配下だからな。自民党とプロレスしているが実は国策会社なんです。高校野球見れば判るだろ。

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