石巻市立大川小学校
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%BB%E5%B8%82%E7%AB%8B%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波が地震発生後およそ50分経った15時36分頃、三陸海岸・追波湾の湾奥にある新北上川(追波川)を遡上してきた。
この結果、河口から約5kmの距離にある同校を襲い、校庭にいた児童78名中74名と、教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が死亡した。
スクールバスの運転手も死亡している。
地震直後、校舎は割れたガラスが散乱し、余震で倒壊する恐れもあった。
教師らは児童を校庭に集めて点呼を取り全員の安否を確認したのちに、避難先について議論を始めた。
学校南側の裏山は有力な避難先であったが、悪天候(降雪)の中、急斜面で足場が悪いことから、児童らが登って避難するには問題があるとされていた。
約200m西側にある周囲の堤防より小高くなっていた新北上大橋のたもと(三角地帯)も避難先候補となり、裏山へ逃げるという意見と、老人も含まれていることを考慮して三角地帯にするべきという意見が教職員の間で対立し、最終的に三角地帯に避難することになり移動を開始した。
津波は、鉄筋コンクリートの壁を突き破り、すべてを飲み込んだ。
その直後、堤防を乗り越えた巨大な津波が児童の列を前方からのみ込んだ。列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて裏山を駆け上がり、一部は助かったが、迫りくる津波を目撃して腰を抜かし、地面に座り込んで避難できない児童も居た。
家族が車で迎えに出向き、独自に避難した児童は助かった。
避難先として選定した三角地帯も標高不足で津波に呑み込まれており避難が完了していても被害は避けられなかった。
震発生から津波到達まで50分間の時間があったにも関わらず、最高責任者の校長不在下での判断指揮系統が不明確なまま、すぐに避難行動をせず校庭に児童を座らせて点呼を取る、避難先についてその場で議論を始めるなど学校側の対応を疑問視する声が相次いだ。
普段から避難に関する教育を徹底し児童らだけの自主的避難により99.8%が無事だった釜石の全小中学校や、地震直後より全員高台に避難させ在校児童が全員無事だった門脇小学校と対照的とされた。
宮城県が2004年3月に策定した第3次地震被害想定調査による津波浸水域予測図では、津波は海岸から最大で3km程度内陸に入るとされ、大川小学校には津波は到達しないとされていた。
そのため大川小自体が避難先とされていたケースもあり、実際に地震の直後高齢者を含む近所の住民が大川小学校に避難してきた。
石巻市教育委員会は2010年2月、各校に津波に対応するマニュアル策定を指示していたが、被災後の議論で教育委員会は、学校の危機管理マニュアルに津波を想定した2次避難先が明記されていなかった点で責任があると認め、父母らに謝罪している。
2011年4月9日の説明会で、無事だった教諭が、裏山に「倒木があった」と証言した。
同年6月4日夜の説明会で、石巻市教育委員会は、前述の証言を「倒木があったように見えた」と訂正し、裏山へ避難しなかった理由を、津波が校庭まで来ると想定していなかった事に加え、余震による山崩れや倒木の恐れがあったためと説明した。
避難が遅れた理由には保護者や避難住民への対応を挙げた。震災時の議論の詳細は明確にならなかった。
謝罪はあったが、学校も教育委員会も責任に言及しなかった。
2012年12月、大川小の惨事を検証する第三者検証委員会が設置された。
2013年7月の中間報告で調査委員は、大川小の「地震(津波)発生時の危機管理マニュアル」に「第1次避難」は「校庭等」、「第2次避難」は「近隣の空き地・公園等」と記載があるのみで具体的場所の記載が無かったことを指摘したものの、遺族からは既に判明している事柄ばかりで目新しい情報がない、生存者の聞き取り調査を行っていない、なぜ50分間逃げなかったのか言及がないなど不満が噴出した。
2013年9月8日、石巻市教育委員会による遺族説明会が約10ヶ月ぶりに行われ、「話し合いを拒んできた理由を説明してほしい」など批判が相次いだ。
2014年3月1日に「大川小学校事故検証報告書 最終報告書」が石巻市に提出された。
2014年3月10日、犠牲となった児童23人の遺族が宮城県と石巻市に対し総額23億円の損害賠償を求める民事訴訟を仙台地方裁判所に起こした。
2016年10月26日、仙台地方裁判所は学校側の過失を認定し23人の遺族に計約14億円の支払いを石巻市と宮城県に命じた]。
石巻市と宮城県は大川小学校は津波の浸水想定区域に入っておらず津波の際の避難所として指定されていたことなどを理由に津波の襲来を予見できなかったと主張したが、仙台地方裁判所は少なくとも石巻市の広報車が大川小学校付近で津波の接近を告げ高台への避難を呼びかけた時点までに教員らは大規模な津波の襲来を予見できたはずであり、学校の裏山に避難しなかったのは過失だと結論づけた。
【東日本大震災】大川小津波訴訟 石巻市側に14億円賠償命令 児童74人と教職員10人が死亡・行方不明
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1477462460/
\(`o'") 巷間の意見>>
………………………………
小学校の裏山に避難すれば助かったのにね
わざわざ平地に降りて児童たちを保護者に引き渡そうとするから
津波にのまれた
………………………………
(´・Д・`) 最悪の読み違いでしたね。
(_ _。) 巷間の意見>>
………………………………
これはなあ…そこまで津波が到達することを想定していなかった行政がな
教員は、そのマニュアルがないから「だろう運転」しちまったんだな
殆どの教師が死んでるから、死人冒涜よりまずそういう指導をしていなかった行政が駄目ってことで
近所の住民が運動場で炊き出ししようとしてたらしいし、本当に何も想定してなかったんだろ
………………………………
(´・Д・`) いわゆる想定外。
(‘ё`) 地元の意見>>
………………………………
現地だと学校は低い場所で川の土手が結構な高さがあって、
ちょっとくらい水が来てもあの上なら大丈夫だろって感じちゃうような
とこなんだよなぁ。
せめて学校が4階建てとかだったら
………………………………
(´・Д・`) 4階建てでも海側に逃げそうな雰囲気ですね。
(ι`・ω・´)ノ 巷間の意見>>
………………………………
しかしこんなこと言い出したら、津波が来て死ぬところに住んでる人へ対策をとってなかった国の責任とかにもなるんじゃないの。
大規模天災への賠償でこの額は無理筋だろう。
………………………………
(´・Д・`) 遺族が勝ったと言うことは、やはりよほど酷い判断だったんですね。
(・ω・) 巷間の意見>>
………………………………
太平洋側の東北民なら、地震=津波が常識。
しかもあのレベルの地震で、近くに川があれば尚更だ。
教師たちがボンクラすぎ。
………………………………
(´・Д・`) 「学校南側の裏山は有力な避難先であったが、悪天候(降雪)の中、急斜面で足場が悪い」
雪さえ降っていなければ…。
ヽ(τωヽ)ノ 巷間の意見>>
………………………………
まあでも、山に逃げたがる子供をわざわざ連れ戻して津波に向かっていたとか聞くと
誰のせいで子供が死んだのかハッキリさせたい気持ちはわからんでもない
その教師も死んでるんだろうけどさ…
………………………………
(´・Д・`) 津波が来ないで土石流が襲うリスクも高かったのは事実。
多少言い訳っぽいですが…。
(`∀´) 自民党工作員の書き込み>>
………………………………
唯一生き残った教師もPTSDを主張して金もらいながら入院してサボってる。
真相が明るみに出るとまずい市側が入院扱いにしてるんだろう。こうすると
マスコミも取材できないしな。
………………………………
(´・Д・`) そりゃあこれだけの体験をすればPTSDになっちゃうだろうよ。
他人事だと思って気楽な奴だな。
v( ̄∇ ̄)v 巷間の意見>>
………………………………
校庭で長々としゃべっていたバカ教師
迎えに来た家族が津波来るよと教えても動かなかったバカ教師・・証言
100%負けるわな
………………………………
(´・Д・`) 負けました。
教師が長々と喋っていたのは避難先を検討する時間稼ぎだろ。
しかし、情報収集力が欠如していたのは否めませんね。
(。_。) 巷間の意見>>
………………………………
あそこは災害時の指定避難場所だし、防災用ラジオが常備されていた。
こういう災害時にはラジオをつけ、正確な情報収集に努めるというのは、
マニュアル以前の常識だ。
(もちろん避難マニュアルにも書いてある)
ラジオは、ここに津波が到達する30分以上前から津波予想高さを10m
にまで引き上げ、ただちに高台に逃げろと連呼していた。
思い込みとか、予測不可能なんて言い訳は通らないよ。
情報は提供されていたのだから。
………………………………
(´・Д・`) 日本人の欠点です。とっさの判断能力が低い。
( ゚д゚)、 巷間の意見>>
………………………………
天災で仕方ないなら、なんでこの小学校だけ児童が大量に死んでるのか?って話だろw
ソース付きですでに語られてるポイントは
1:4kmも離れてるから津波こねえわwっていう先入観と危機意識の欠如
2:50分以上も時間を浪費したこと
3:平成22年2月に「二次避難場所を指定せよ」と通達したのにチェックがザルで機能してなかった
4:大津波の情報来てるのに川の方に馬鹿正直に移動した事
教師なんて、というかおそらく誰でも避難地域に指定された場所が選択肢として
そこしかなきゃ馬鹿正直に移動するから、3できっちり二次避難場所を決まった場所の高台に設定してりゃ助かったよね
で、それの責任はだれかっていえば、行政じゃねえの。
………………………………
(´・Д・`) そういうことになりますね。
(TдT) 巷間の意見>>
………………………………
海岸から4kmというと
東京でいったら皇居の中心あたりまで津波くるか?ってことになるが
そこまでは予測できんかもな
………………………………
(´・Д・`) 山手線の内側は大体水没です。
M9地震が千葉東方沖で起きたら、死者100万人超えですね。
記事が面白いと思ったら下のリンクをクリックしてくだされ!!
人気ブログランキングへ
作品紹介内容の詳細はここをクリック
画像をクリックすると出版サイトに飛びます
無料お試し版もあります
神霊科学入門 未来紀 悟り
日本超古代史研究上・中・下
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%BB%E5%B8%82%E7%AB%8B%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波が地震発生後およそ50分経った15時36分頃、三陸海岸・追波湾の湾奥にある新北上川(追波川)を遡上してきた。
この結果、河口から約5kmの距離にある同校を襲い、校庭にいた児童78名中74名と、教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が死亡した。
スクールバスの運転手も死亡している。
地震直後、校舎は割れたガラスが散乱し、余震で倒壊する恐れもあった。
教師らは児童を校庭に集めて点呼を取り全員の安否を確認したのちに、避難先について議論を始めた。
学校南側の裏山は有力な避難先であったが、悪天候(降雪)の中、急斜面で足場が悪いことから、児童らが登って避難するには問題があるとされていた。
約200m西側にある周囲の堤防より小高くなっていた新北上大橋のたもと(三角地帯)も避難先候補となり、裏山へ逃げるという意見と、老人も含まれていることを考慮して三角地帯にするべきという意見が教職員の間で対立し、最終的に三角地帯に避難することになり移動を開始した。
津波は、鉄筋コンクリートの壁を突き破り、すべてを飲み込んだ。
その直後、堤防を乗り越えた巨大な津波が児童の列を前方からのみ込んだ。列の後方にいた教諭と数人の児童は向きを変えて裏山を駆け上がり、一部は助かったが、迫りくる津波を目撃して腰を抜かし、地面に座り込んで避難できない児童も居た。
家族が車で迎えに出向き、独自に避難した児童は助かった。
避難先として選定した三角地帯も標高不足で津波に呑み込まれており避難が完了していても被害は避けられなかった。
震発生から津波到達まで50分間の時間があったにも関わらず、最高責任者の校長不在下での判断指揮系統が不明確なまま、すぐに避難行動をせず校庭に児童を座らせて点呼を取る、避難先についてその場で議論を始めるなど学校側の対応を疑問視する声が相次いだ。
普段から避難に関する教育を徹底し児童らだけの自主的避難により99.8%が無事だった釜石の全小中学校や、地震直後より全員高台に避難させ在校児童が全員無事だった門脇小学校と対照的とされた。
宮城県が2004年3月に策定した第3次地震被害想定調査による津波浸水域予測図では、津波は海岸から最大で3km程度内陸に入るとされ、大川小学校には津波は到達しないとされていた。
そのため大川小自体が避難先とされていたケースもあり、実際に地震の直後高齢者を含む近所の住民が大川小学校に避難してきた。
石巻市教育委員会は2010年2月、各校に津波に対応するマニュアル策定を指示していたが、被災後の議論で教育委員会は、学校の危機管理マニュアルに津波を想定した2次避難先が明記されていなかった点で責任があると認め、父母らに謝罪している。
2011年4月9日の説明会で、無事だった教諭が、裏山に「倒木があった」と証言した。
同年6月4日夜の説明会で、石巻市教育委員会は、前述の証言を「倒木があったように見えた」と訂正し、裏山へ避難しなかった理由を、津波が校庭まで来ると想定していなかった事に加え、余震による山崩れや倒木の恐れがあったためと説明した。
避難が遅れた理由には保護者や避難住民への対応を挙げた。震災時の議論の詳細は明確にならなかった。
謝罪はあったが、学校も教育委員会も責任に言及しなかった。
2012年12月、大川小の惨事を検証する第三者検証委員会が設置された。
2013年7月の中間報告で調査委員は、大川小の「地震(津波)発生時の危機管理マニュアル」に「第1次避難」は「校庭等」、「第2次避難」は「近隣の空き地・公園等」と記載があるのみで具体的場所の記載が無かったことを指摘したものの、遺族からは既に判明している事柄ばかりで目新しい情報がない、生存者の聞き取り調査を行っていない、なぜ50分間逃げなかったのか言及がないなど不満が噴出した。
2013年9月8日、石巻市教育委員会による遺族説明会が約10ヶ月ぶりに行われ、「話し合いを拒んできた理由を説明してほしい」など批判が相次いだ。
2014年3月1日に「大川小学校事故検証報告書 最終報告書」が石巻市に提出された。
2014年3月10日、犠牲となった児童23人の遺族が宮城県と石巻市に対し総額23億円の損害賠償を求める民事訴訟を仙台地方裁判所に起こした。
2016年10月26日、仙台地方裁判所は学校側の過失を認定し23人の遺族に計約14億円の支払いを石巻市と宮城県に命じた]。
石巻市と宮城県は大川小学校は津波の浸水想定区域に入っておらず津波の際の避難所として指定されていたことなどを理由に津波の襲来を予見できなかったと主張したが、仙台地方裁判所は少なくとも石巻市の広報車が大川小学校付近で津波の接近を告げ高台への避難を呼びかけた時点までに教員らは大規模な津波の襲来を予見できたはずであり、学校の裏山に避難しなかったのは過失だと結論づけた。
【東日本大震災】大川小津波訴訟 石巻市側に14億円賠償命令 児童74人と教職員10人が死亡・行方不明
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1477462460/
\(`o'") 巷間の意見>>
………………………………
小学校の裏山に避難すれば助かったのにね
わざわざ平地に降りて児童たちを保護者に引き渡そうとするから
津波にのまれた
………………………………
(´・Д・`) 最悪の読み違いでしたね。
(_ _。) 巷間の意見>>
………………………………
これはなあ…そこまで津波が到達することを想定していなかった行政がな
教員は、そのマニュアルがないから「だろう運転」しちまったんだな
殆どの教師が死んでるから、死人冒涜よりまずそういう指導をしていなかった行政が駄目ってことで
近所の住民が運動場で炊き出ししようとしてたらしいし、本当に何も想定してなかったんだろ
………………………………
(´・Д・`) いわゆる想定外。
(‘ё`) 地元の意見>>
………………………………
現地だと学校は低い場所で川の土手が結構な高さがあって、
ちょっとくらい水が来てもあの上なら大丈夫だろって感じちゃうような
とこなんだよなぁ。
せめて学校が4階建てとかだったら
………………………………
(´・Д・`) 4階建てでも海側に逃げそうな雰囲気ですね。
(ι`・ω・´)ノ 巷間の意見>>
………………………………
しかしこんなこと言い出したら、津波が来て死ぬところに住んでる人へ対策をとってなかった国の責任とかにもなるんじゃないの。
大規模天災への賠償でこの額は無理筋だろう。
………………………………
(´・Д・`) 遺族が勝ったと言うことは、やはりよほど酷い判断だったんですね。
(・ω・) 巷間の意見>>
………………………………
太平洋側の東北民なら、地震=津波が常識。
しかもあのレベルの地震で、近くに川があれば尚更だ。
教師たちがボンクラすぎ。
………………………………
(´・Д・`) 「学校南側の裏山は有力な避難先であったが、悪天候(降雪)の中、急斜面で足場が悪い」
雪さえ降っていなければ…。
ヽ(τωヽ)ノ 巷間の意見>>
………………………………
まあでも、山に逃げたがる子供をわざわざ連れ戻して津波に向かっていたとか聞くと
誰のせいで子供が死んだのかハッキリさせたい気持ちはわからんでもない
その教師も死んでるんだろうけどさ…
………………………………
(´・Д・`) 津波が来ないで土石流が襲うリスクも高かったのは事実。
多少言い訳っぽいですが…。
(`∀´) 自民党工作員の書き込み>>
………………………………
唯一生き残った教師もPTSDを主張して金もらいながら入院してサボってる。
真相が明るみに出るとまずい市側が入院扱いにしてるんだろう。こうすると
マスコミも取材できないしな。
………………………………
(´・Д・`) そりゃあこれだけの体験をすればPTSDになっちゃうだろうよ。
他人事だと思って気楽な奴だな。
v( ̄∇ ̄)v 巷間の意見>>
………………………………
校庭で長々としゃべっていたバカ教師
迎えに来た家族が津波来るよと教えても動かなかったバカ教師・・証言
100%負けるわな
………………………………
(´・Д・`) 負けました。
教師が長々と喋っていたのは避難先を検討する時間稼ぎだろ。
しかし、情報収集力が欠如していたのは否めませんね。
(。_。) 巷間の意見>>
………………………………
あそこは災害時の指定避難場所だし、防災用ラジオが常備されていた。
こういう災害時にはラジオをつけ、正確な情報収集に努めるというのは、
マニュアル以前の常識だ。
(もちろん避難マニュアルにも書いてある)
ラジオは、ここに津波が到達する30分以上前から津波予想高さを10m
にまで引き上げ、ただちに高台に逃げろと連呼していた。
思い込みとか、予測不可能なんて言い訳は通らないよ。
情報は提供されていたのだから。
………………………………
(´・Д・`) 日本人の欠点です。とっさの判断能力が低い。
( ゚д゚)、 巷間の意見>>
………………………………
天災で仕方ないなら、なんでこの小学校だけ児童が大量に死んでるのか?って話だろw
ソース付きですでに語られてるポイントは
1:4kmも離れてるから津波こねえわwっていう先入観と危機意識の欠如
2:50分以上も時間を浪費したこと
3:平成22年2月に「二次避難場所を指定せよ」と通達したのにチェックがザルで機能してなかった
4:大津波の情報来てるのに川の方に馬鹿正直に移動した事
教師なんて、というかおそらく誰でも避難地域に指定された場所が選択肢として
そこしかなきゃ馬鹿正直に移動するから、3できっちり二次避難場所を決まった場所の高台に設定してりゃ助かったよね
で、それの責任はだれかっていえば、行政じゃねえの。
………………………………
(´・Д・`) そういうことになりますね。
(TдT) 巷間の意見>>
………………………………
海岸から4kmというと
東京でいったら皇居の中心あたりまで津波くるか?ってことになるが
そこまでは予測できんかもな
………………………………
(´・Д・`) 山手線の内側は大体水没です。
M9地震が千葉東方沖で起きたら、死者100万人超えですね。
記事が面白いと思ったら下のリンクをクリックしてくだされ!!
人気ブログランキングへ
作品紹介内容の詳細はここをクリック
画像をクリックすると出版サイトに飛びます
無料お試し版もあります
神霊科学入門 未来紀 悟り
日本超古代史研究上・中・下
0 件のコメント:
コメントを投稿