かつて韓国は東アジアの支配者だった!「日本は百済と新羅が作った」が韓国の定説
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1454912066/-100
≪キリスト、ソメイヨシノ、剣道……、様々な他国のものを何でも「自国発祥」にしてしまう韓国の“ウリジナル”
(韓国語の「ウリ=我々」をもじった造語)だが、ついに「日本列島は古代朝鮮の領土だった」と言い始めた。
朝鮮半島に「高句麗」「百済」「新羅」が鼎立した“三国時代”(4~7世紀)に「百済が日本を植民地支配していた」と、 古代史研究家で高麗大学名誉教授のチェ・ジェソク氏が主張するほか、韓国の大学で教鞭をとる日本人教授が「日本列島は古代高句麗領土」と仮説を述べている のだ。
さらには、日本の地名や山、峠、島、寺院など27の名称に高句麗・百済・新羅・伽耶の地名が使われていることなどを根拠に「日本は古代朝鮮の直轄領土だった」というのだ。
これらの主張に疑問を呈するのが、『日朝古代史 嘘の起源』の著書もある評論家の室谷克実氏だ。
「『魏志』には倭人伝の前に韓伝があります。
それによると、百済は朝鮮半島に50ほどある国のひとつだった。
一方、当時の日本には卑弥呼が統一した国がありました。
そのような状況でどうやって百済が日本を支配するのでしょうか。
また、韓伝には『(韓は)東西は海をもって限りとなし、南は倭と接する』との記述もある。
つまり、朝鮮半島南部が倭人の地であったことを中国の史書が示しているのです」
ここで、掲載した図をご覧頂きたい。
これは、韓国の歴史研究家が自身のブログで公開した「朝鮮三国時代の勢力図」を元に本誌が再現したものだ。
注目すべきは、日本を含む東アジアの広域を「朝鮮領土」としている点だ。
これは一般的な韓国人の古代史観を投影した図と言われている。
前出・室谷氏が語る。
「韓国では『百済や新羅が日本を作った』というのが定説となっています。
日本統治時代の朝鮮の歴史家、申采浩は『カタカナなどの日本文化はすべて百済人が作った』と主張した人物で、 古代朝鮮による中国支配説も唱えました。
一方、同時期の歴史家、崔南善も日韓古代史に言及し、
『百済も高句麗も新羅も日本に多くの植民地を持っていた』と書いています。
韓国の学者が主張する古代史の主張のほとんどは、この二人の影響を受けたもので、古代史観の“源流”とも言える。
実証的な研究をほとんどせず、先人が構築した仮説を鵜呑みにし誤った歴史認識を拡散させているのです」
昨年は、政治資金疑惑の渦中にいた韓国の李完九首相(当時)が、「百済が日本を作った」と発言。
日本の歴史教科書を批判し話題となった。
近年、再び日韓の古代史がクローズアップされるようになった背景には何があるのか。
「韓国では、古代史をナショナリズムの扇動や政治家の保身に利用してきた経緯があります。
『東アジアを支配し、日本に文化を教えたのは我々だ』と煽ることで国民の溜飲を下げ、不都合なことから目を逸らせる。
古代史と絡めた主張や発言は今後も次々と出て来るでしょう」(室谷氏)
日本を「古代朝鮮の領土」と信じ込む韓国人の主張は、史上“最凶”のウリジナルと言えそうだ。≫
在日の意見>>
………………………………
日本を作ったのは韓国
これが真実だクッソジャップ
………………………………
(T-T)ノ~ お題目が好きな連中だな。
巷間の意見>>
………………………………
宋書・・・・・・・・倭国が朝鮮半島南部の軍事司令官に任命された。
随書・・・・・・・・倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。
満州にある広開土王碑・・・倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。
三国史記「新羅本記」・・・新羅は何回も王子を人質に差し出している。新羅王の4代目王は倭国か-らやって来たと-書かれている。倭の勢力が頻繁に来襲し、何度も首都を包囲された記述が書-かれている。
三国史記「百済本記」・・・百済は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。
日本書紀・・・・・「391年に神功皇后が百済と新羅を征服したと書いてある(三韓征伐)。」
梁職貢図・・・・・・新羅は倭の属国。
………………………………
(T-T)ノ~ 漢字が読めると都合が悪いからハングルにしたんですね。
巷間の意見>>
………………………………
■有史以来 朝鮮半島が日本より上の立場になったことは無い■
~古代朝鮮は日本に二百年以上にわたって支配されていた~
高麗大学教授 金鉉球・鄭大均
わが国の中・高等学校教科書を見ると、百済・高句麗・新羅三国の文化が日本に伝えられた話が出てきますが、 その内容は日本古代史書である「日本書紀」を土台にしているもので、わが国の史書にはありません。
(そもそも韓国に古代の文献はほとんどない)
ところが、日本の学者が「日本書紀」を土台にして、古代日本が二百年余り朝鮮半島南部の伽耶(日本名任那)地域を支配したという「任那日本府説」を主張すると、韓国の学界ではそれは信じることができないと主張しています。
これは明白な矛盾であり、こうした姿勢ゆえに日本の学界が韓国の学界を軽く見るのではありませんか、という身の程を知らぬ質問をした。
そしたらL教授は黙り込んで答えず、横に居られたC教授が「自信がないんだよ」とおっしゃった。
「日本書紀」には日本が「任那日本府」という機構を置いて朝鮮半島南部を支配しつつ、三国文化を運んでいったようになっている。
しかし、韓国の中・高等学校では三国文化が日本に伝播される国際関係に関しては何の説明もされず、 ただ高句麗・新羅・百済の三国が日本に文化を伝えた事実だけを教えている。
そこで学生達は日本を客観的に理解できずに、無条件、対日優越意識だけを助長する結果をもたらせた。
外国に出かけたわが国の学生が「任那日本説」に接して戸惑うのも無理はない。
実際の歴史は、日本に支配されたいわば「属国」であったにも関わらずだ。
………………………………
(T-T)ノ~ 妄想は事実よりも強し。
巷間の意見>>
………………………………
■ 中国の歴史学者が 朝鮮人歴史学者を批判 ■
★事実を無視し、根拠のないことを書き加えるようなことは、してはならない★
http://blog.livedoor.jp/cyoncyonaho/archives/1050074658.html
好太王碑文改竄説は、1972年に日本朝鮮学校の李進煕が、岩波書店『思想』に発表したのが発端で、呼応するように北鮮が改竄説を宣伝した。
好太王碑は中国領にあり、中国の研究者が改竄説の検証をおこなった結果は、王建群・吉林省文物考古研究所長(1984)『好太王碑研究』(吉林人民出版社)で、訳本として、翻訳:林国本・繆光禎『好太王碑の研究』(雄渾社)がある。
検証の詳細はこの本にまかせるが、改竄説のでっち上げを厳しく批判している。
「歴史は客観的存在であり、歴史の研究は事実にもとづいてすすめなければならない。
中国に対して破壊活動を行なった酒匂景信や当時の日本陸軍参謀本部の犯した罪は徹底的に暴露しなければならない。
しかし同時に、事実を無視し、根拠のないことを書き加えるようなことは、してはならないのである。」
この発言でも、是々非々で対応する中国人と、朝鮮人のレベルの違いが分かる。
酒匂雙鉤本は、著者の碑文との照合から判断して、碑文の本来の姿に忠実であるよう努力しており、意識的に改竄されたような痕跡がないと考えられる。
問題の箇所は…“「倭以辛卯年来、渡海破百残、??[新]羅、以為臣民」。
これらの文字は、実際に石碑にそう彫られているもので、改竄されてはいない。
字形、点、画も、石碑にもともと彫られていたものに忠実である。…としています。
………………………………
(T-T)ノ~ 石碑は今中国領にあるので都合悪い部分の破壊はできないんですね。
巷間の意見>>
………………………………
■18世紀日本の首都、江戸は人口100万を数える世界最大の都市、北京は50万人、ソウルは30万人■
韓国では光復(解放)以後、日帝強制占領期間の痛みを治癒して民族的自負心を取り戻すために日本をさげすむ風が吹きましたが、日本は確かに韓半島より大国 です。壬辰倭乱の時、日本が保有した鳥銃の数字が当時、ヨーロッパ大陸全体が保有した鳥銃を凌駕しました。壬辰倭乱の時、朝鮮は地上最大の軍事力を持った 国家と戦争をしたのです。
また、18世紀日本の首都、江戸(今の東京)は人口100万を数える世界最大の都市でした。当時中国、北京の人口が50万でしたし、朝鮮の漢陽(ハンヤン)は30万に過ぎませんでした。
韓国では日本に対する反感のため、にこういう姿を見過ごすのが常です。ただ近代以前まで韓国より文物がずいぶん遅れをとった島国蛮夷国家が運良く近代化に 成功して成金になったと見なすだけです。西洋の大学者の研究を通じて日本のこういう本来の姿を発見しても「いとこが土地を買えば腹が痛い」という心情を抜 け出せにのが事実です。
ソース:東亜日報(韓国語)
http://news.donga.com/O2/sports/3/20/20110325/35886153/1
………………………………
(T-T)ノ~ 少数意見ですね。
巷間の意見>>
………………………………
■17世紀初頭、日本列島は3000万人の人口…中国の人口は6000万人…朝鮮半島の人口は300万人■
しかし李氏朝鮮以前の半島の歴史は正確にはなにも全くわかっていないのだ、と金完燮氏は言うのである。韓国人は、だから自らの民族のアイデンティティに大きな不安を抱いているのである
通説としては、676年に新羅が半島を統一したというような話になっているが、そういう
歴史的展開はぜんぶ現在の大陸東北部で起こった出来事であって、半島の歴史ではない、というのである。
古代史に関する彼の大胆な「仮説」は、27日にあらためて聴くことになっている。
ともかく、半島における高句麗、新羅、百済の三韓の葛藤劇もことごとく歴史的実在が疑わしい。
要するに1392年より以前の半島の歴史で確実なことは何もわからないので、韓国人の歴史への自信喪失は根が深いのだという話である。
17世紀初頭、日本列島には3000万人の人口があった。同じ時期、あの広大な中国の人口はわずか6000万人であった。(確かに、中国の人口が一億を越えたのは17世紀後半の清王朝の成立より後のことである。)朝鮮半島の人口は、当時300万人程度であった。
朝鮮人からみて日本列島はすでに当時から人口の多い「大陸」であり、一つの大きな「文明」であった。
今のように島国の日本というイメージではなかった。朝鮮半島は二つの「大陸」にはさまれているという自己認識であった、と。
★17世紀でさえ朝鮮半島の人口は300万人程度だそうだ。要するに食料生産性が
低いということです。こんな程度の人口では古代中国の帝国と戦争などできなかった
だろうね。
………………………………
(T-T)ノ~ 6000万人は税金対策でしょう。実際は2億人くらいいたのでは?
巷間の意見>>
………………………………
■支那の康煕帝は、朝鮮に対し毎年、朝鮮の美女3000人を選びぬき、清国の朝貢することなどが義務づけた■
漢の武帝以来、漢をはじめ、唐、金、モンゴル人は、どういうふうに朝鮮を支配してきたかは、遠い昔話で別としても、清国の朝鮮支配は、いかに家内奴隷として朝鮮半島を支配してきたか、一例を挙げれば、その一端がうかがわれる。
たとえば、朝鮮の粛宗が1694年、宗主国の康煕帝に奉呈した貢文に、康煕帝の気に入らぬ言葉が一つあっただけで、礼部(文部省)から朝鮮国王に対して、罰金銀一万両、皇帝の年貢に対する回賜(見返りの品)3年間停止の処罰を受けている。
もちろん、康煕帝は、貨幣の鋳造権も、食糧、兵士提供の要求権も朝鮮国王から回収した。
朝鮮と清国との従属関係について、簡単にまとめれば、朝鮮国王は清の皇帝によって任命されること。
朝鮮国内で起こった事件の委細については、すべて皇帝に報告しなければならないこと。
清の使節に対して、国王はソウル城門の外まで出迎えなければならないこと。
朝鮮国王の地位は、清国廷臣の下にあること。朝鮮政府には、貨幣の鋳造権がないこと。
細かく定められた貢品以外に、毎年、牛3000頭、馬3000頭、各地の美女3000人を選びぬき、清国の朝貢することなどが義務づけられていた。
牛馬それぞれ3000頭を手に入れることも、容易ではないが、女性3000人を宗主国の清国に送るとなると、両班の娘だけでは間に合わない。米で農家の娘と物々交換するか、あるいは強制連行の手段しかない。
ここに、今日、問題となっている「強制連行」、「慰安婦」の原点がある。朝鮮の強制連行と慰安婦は、まさに朝鮮痛史であり、日韓併合を云々するならば、同時に、この朝鮮痛史にも立ち向かわなければならないだろう。
………………………………
(T-T)ノ~ 朝鮮の歴史は日本の方が研究が進んでいます。
巷間の意見>>
………………………………
■「新羅は倭の属国」との記述が韓国の古代史研究の第1級資料から見つかる
「梁職貢図」から新羅・高句麗題起が発見 2011-08-23 13:00
新しくあらわれた梁職貢図新羅題記
青黛文集から捜し出して..ユン・ヨング博士公開 「新羅は倭の属国」論議予告
(ソウル=聯合ニュース)キム・テシク記者=韓国古代史研究の第1級資料の中の一つと見なされる梁職貢図から永遠に消えたと見なされた新羅と高句麗に対する簡略な説明の題記が最近発見された。
特に今回発見された新羅に対する題記には新羅が倭の属国という一節があっていわゆる任那日本府説とかみ合わさって論議がおきる展望だ。
韓国古代社専攻の仁川(インチョン)都市開発公社ユン・ヨング博士は去る20日西江(ソガン)大茶山館で行われた新羅史学会(フェチャン、キム・チャンギョム)第107回学術発表会を通じて中国で最近発見報告された梁職貢図題起を分析、紹介した。
ユン博士は今回公開された梁職貢図題記を南京博物館旧蔵本の梁職貢図版本と比較した結果、「新羅と高句麗を含んだ7ヶ国の題起は完全に新しく出現した資料で、合わせて百済と倭国をはじめとして既に 知らされた9ヶ国の題起も内容で差が小さくない」と話した。(中略)
ユン博士はこの内容中でも「新羅が倭国に属したりもした」という言及が新しく現れた大きな課題であり、これをどのように受け入れるかによって歴史学界で論議が広がることがありうると付け加えた。
………………………………
(T-T)ノ~ この手の歴史資料は全部中国が持っているのですが、平気で改竄しちゃう国ですから、今後どうなるか判りません。
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≪キリスト、ソメイヨシノ、剣道……、様々な他国のものを何でも「自国発祥」にしてしまう韓国の“ウリジナル”
(韓国語の「ウリ=我々」をもじった造語)だが、ついに「日本列島は古代朝鮮の領土だった」と言い始めた。
朝鮮半島に「高句麗」「百済」「新羅」が鼎立した“三国時代”(4~7世紀)に「百済が日本を植民地支配していた」と、 古代史研究家で高麗大学名誉教授のチェ・ジェソク氏が主張するほか、韓国の大学で教鞭をとる日本人教授が「日本列島は古代高句麗領土」と仮説を述べている のだ。
さらには、日本の地名や山、峠、島、寺院など27の名称に高句麗・百済・新羅・伽耶の地名が使われていることなどを根拠に「日本は古代朝鮮の直轄領土だった」というのだ。
これらの主張に疑問を呈するのが、『日朝古代史 嘘の起源』の著書もある評論家の室谷克実氏だ。
「『魏志』には倭人伝の前に韓伝があります。
それによると、百済は朝鮮半島に50ほどある国のひとつだった。
一方、当時の日本には卑弥呼が統一した国がありました。
そのような状況でどうやって百済が日本を支配するのでしょうか。
また、韓伝には『(韓は)東西は海をもって限りとなし、南は倭と接する』との記述もある。
つまり、朝鮮半島南部が倭人の地であったことを中国の史書が示しているのです」
ここで、掲載した図をご覧頂きたい。
これは、韓国の歴史研究家が自身のブログで公開した「朝鮮三国時代の勢力図」を元に本誌が再現したものだ。
注目すべきは、日本を含む東アジアの広域を「朝鮮領土」としている点だ。
これは一般的な韓国人の古代史観を投影した図と言われている。
前出・室谷氏が語る。
「韓国では『百済や新羅が日本を作った』というのが定説となっています。
日本統治時代の朝鮮の歴史家、申采浩は『カタカナなどの日本文化はすべて百済人が作った』と主張した人物で、 古代朝鮮による中国支配説も唱えました。
一方、同時期の歴史家、崔南善も日韓古代史に言及し、
『百済も高句麗も新羅も日本に多くの植民地を持っていた』と書いています。
韓国の学者が主張する古代史の主張のほとんどは、この二人の影響を受けたもので、古代史観の“源流”とも言える。
実証的な研究をほとんどせず、先人が構築した仮説を鵜呑みにし誤った歴史認識を拡散させているのです」
昨年は、政治資金疑惑の渦中にいた韓国の李完九首相(当時)が、「百済が日本を作った」と発言。
日本の歴史教科書を批判し話題となった。
近年、再び日韓の古代史がクローズアップされるようになった背景には何があるのか。
「韓国では、古代史をナショナリズムの扇動や政治家の保身に利用してきた経緯があります。
『東アジアを支配し、日本に文化を教えたのは我々だ』と煽ることで国民の溜飲を下げ、不都合なことから目を逸らせる。
古代史と絡めた主張や発言は今後も次々と出て来るでしょう」(室谷氏)
日本を「古代朝鮮の領土」と信じ込む韓国人の主張は、史上“最凶”のウリジナルと言えそうだ。≫
在日の意見>>
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日本を作ったのは韓国
これが真実だクッソジャップ
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(T-T)ノ~ お題目が好きな連中だな。
巷間の意見>>
………………………………
宋書・・・・・・・・倭国が朝鮮半島南部の軍事司令官に任命された。
随書・・・・・・・・倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。
満州にある広開土王碑・・・倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。
三国史記「新羅本記」・・・新羅は何回も王子を人質に差し出している。新羅王の4代目王は倭国か-らやって来たと-書かれている。倭の勢力が頻繁に来襲し、何度も首都を包囲された記述が書-かれている。
三国史記「百済本記」・・・百済は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。
日本書紀・・・・・「391年に神功皇后が百済と新羅を征服したと書いてある(三韓征伐)。」
梁職貢図・・・・・・新羅は倭の属国。
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(T-T)ノ~ 漢字が読めると都合が悪いからハングルにしたんですね。
巷間の意見>>
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■有史以来 朝鮮半島が日本より上の立場になったことは無い■
~古代朝鮮は日本に二百年以上にわたって支配されていた~
高麗大学教授 金鉉球・鄭大均
わが国の中・高等学校教科書を見ると、百済・高句麗・新羅三国の文化が日本に伝えられた話が出てきますが、 その内容は日本古代史書である「日本書紀」を土台にしているもので、わが国の史書にはありません。
(そもそも韓国に古代の文献はほとんどない)
ところが、日本の学者が「日本書紀」を土台にして、古代日本が二百年余り朝鮮半島南部の伽耶(日本名任那)地域を支配したという「任那日本府説」を主張すると、韓国の学界ではそれは信じることができないと主張しています。
これは明白な矛盾であり、こうした姿勢ゆえに日本の学界が韓国の学界を軽く見るのではありませんか、という身の程を知らぬ質問をした。
そしたらL教授は黙り込んで答えず、横に居られたC教授が「自信がないんだよ」とおっしゃった。
「日本書紀」には日本が「任那日本府」という機構を置いて朝鮮半島南部を支配しつつ、三国文化を運んでいったようになっている。
しかし、韓国の中・高等学校では三国文化が日本に伝播される国際関係に関しては何の説明もされず、 ただ高句麗・新羅・百済の三国が日本に文化を伝えた事実だけを教えている。
そこで学生達は日本を客観的に理解できずに、無条件、対日優越意識だけを助長する結果をもたらせた。
外国に出かけたわが国の学生が「任那日本説」に接して戸惑うのも無理はない。
実際の歴史は、日本に支配されたいわば「属国」であったにも関わらずだ。
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(T-T)ノ~ 妄想は事実よりも強し。
巷間の意見>>
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■ 中国の歴史学者が 朝鮮人歴史学者を批判 ■
★事実を無視し、根拠のないことを書き加えるようなことは、してはならない★
http://blog.livedoor.jp/cyoncyonaho/archives/1050074658.html
好太王碑文改竄説は、1972年に日本朝鮮学校の李進煕が、岩波書店『思想』に発表したのが発端で、呼応するように北鮮が改竄説を宣伝した。
好太王碑は中国領にあり、中国の研究者が改竄説の検証をおこなった結果は、王建群・吉林省文物考古研究所長(1984)『好太王碑研究』(吉林人民出版社)で、訳本として、翻訳:林国本・繆光禎『好太王碑の研究』(雄渾社)がある。
検証の詳細はこの本にまかせるが、改竄説のでっち上げを厳しく批判している。
「歴史は客観的存在であり、歴史の研究は事実にもとづいてすすめなければならない。
中国に対して破壊活動を行なった酒匂景信や当時の日本陸軍参謀本部の犯した罪は徹底的に暴露しなければならない。
しかし同時に、事実を無視し、根拠のないことを書き加えるようなことは、してはならないのである。」
この発言でも、是々非々で対応する中国人と、朝鮮人のレベルの違いが分かる。
酒匂雙鉤本は、著者の碑文との照合から判断して、碑文の本来の姿に忠実であるよう努力しており、意識的に改竄されたような痕跡がないと考えられる。
問題の箇所は…“「倭以辛卯年来、渡海破百残、??[新]羅、以為臣民」。
これらの文字は、実際に石碑にそう彫られているもので、改竄されてはいない。
字形、点、画も、石碑にもともと彫られていたものに忠実である。…としています。
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(T-T)ノ~ 石碑は今中国領にあるので都合悪い部分の破壊はできないんですね。
巷間の意見>>
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■18世紀日本の首都、江戸は人口100万を数える世界最大の都市、北京は50万人、ソウルは30万人■
韓国では光復(解放)以後、日帝強制占領期間の痛みを治癒して民族的自負心を取り戻すために日本をさげすむ風が吹きましたが、日本は確かに韓半島より大国 です。壬辰倭乱の時、日本が保有した鳥銃の数字が当時、ヨーロッパ大陸全体が保有した鳥銃を凌駕しました。壬辰倭乱の時、朝鮮は地上最大の軍事力を持った 国家と戦争をしたのです。
また、18世紀日本の首都、江戸(今の東京)は人口100万を数える世界最大の都市でした。当時中国、北京の人口が50万でしたし、朝鮮の漢陽(ハンヤン)は30万に過ぎませんでした。
韓国では日本に対する反感のため、にこういう姿を見過ごすのが常です。ただ近代以前まで韓国より文物がずいぶん遅れをとった島国蛮夷国家が運良く近代化に 成功して成金になったと見なすだけです。西洋の大学者の研究を通じて日本のこういう本来の姿を発見しても「いとこが土地を買えば腹が痛い」という心情を抜 け出せにのが事実です。
ソース:東亜日報(韓国語)
http://news.donga.com/O2/sports/3/20/20110325/35886153/1
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(T-T)ノ~ 少数意見ですね。
巷間の意見>>
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■17世紀初頭、日本列島は3000万人の人口…中国の人口は6000万人…朝鮮半島の人口は300万人■
しかし李氏朝鮮以前の半島の歴史は正確にはなにも全くわかっていないのだ、と金完燮氏は言うのである。韓国人は、だから自らの民族のアイデンティティに大きな不安を抱いているのである
通説としては、676年に新羅が半島を統一したというような話になっているが、そういう
歴史的展開はぜんぶ現在の大陸東北部で起こった出来事であって、半島の歴史ではない、というのである。
古代史に関する彼の大胆な「仮説」は、27日にあらためて聴くことになっている。
ともかく、半島における高句麗、新羅、百済の三韓の葛藤劇もことごとく歴史的実在が疑わしい。
要するに1392年より以前の半島の歴史で確実なことは何もわからないので、韓国人の歴史への自信喪失は根が深いのだという話である。
17世紀初頭、日本列島には3000万人の人口があった。同じ時期、あの広大な中国の人口はわずか6000万人であった。(確かに、中国の人口が一億を越えたのは17世紀後半の清王朝の成立より後のことである。)朝鮮半島の人口は、当時300万人程度であった。
朝鮮人からみて日本列島はすでに当時から人口の多い「大陸」であり、一つの大きな「文明」であった。
今のように島国の日本というイメージではなかった。朝鮮半島は二つの「大陸」にはさまれているという自己認識であった、と。
★17世紀でさえ朝鮮半島の人口は300万人程度だそうだ。要するに食料生産性が
低いということです。こんな程度の人口では古代中国の帝国と戦争などできなかった
だろうね。
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(T-T)ノ~ 6000万人は税金対策でしょう。実際は2億人くらいいたのでは?
巷間の意見>>
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■支那の康煕帝は、朝鮮に対し毎年、朝鮮の美女3000人を選びぬき、清国の朝貢することなどが義務づけた■
漢の武帝以来、漢をはじめ、唐、金、モンゴル人は、どういうふうに朝鮮を支配してきたかは、遠い昔話で別としても、清国の朝鮮支配は、いかに家内奴隷として朝鮮半島を支配してきたか、一例を挙げれば、その一端がうかがわれる。
たとえば、朝鮮の粛宗が1694年、宗主国の康煕帝に奉呈した貢文に、康煕帝の気に入らぬ言葉が一つあっただけで、礼部(文部省)から朝鮮国王に対して、罰金銀一万両、皇帝の年貢に対する回賜(見返りの品)3年間停止の処罰を受けている。
もちろん、康煕帝は、貨幣の鋳造権も、食糧、兵士提供の要求権も朝鮮国王から回収した。
朝鮮と清国との従属関係について、簡単にまとめれば、朝鮮国王は清の皇帝によって任命されること。
朝鮮国内で起こった事件の委細については、すべて皇帝に報告しなければならないこと。
清の使節に対して、国王はソウル城門の外まで出迎えなければならないこと。
朝鮮国王の地位は、清国廷臣の下にあること。朝鮮政府には、貨幣の鋳造権がないこと。
細かく定められた貢品以外に、毎年、牛3000頭、馬3000頭、各地の美女3000人を選びぬき、清国の朝貢することなどが義務づけられていた。
牛馬それぞれ3000頭を手に入れることも、容易ではないが、女性3000人を宗主国の清国に送るとなると、両班の娘だけでは間に合わない。米で農家の娘と物々交換するか、あるいは強制連行の手段しかない。
ここに、今日、問題となっている「強制連行」、「慰安婦」の原点がある。朝鮮の強制連行と慰安婦は、まさに朝鮮痛史であり、日韓併合を云々するならば、同時に、この朝鮮痛史にも立ち向かわなければならないだろう。
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(T-T)ノ~ 朝鮮の歴史は日本の方が研究が進んでいます。
巷間の意見>>
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■「新羅は倭の属国」との記述が韓国の古代史研究の第1級資料から見つかる
「梁職貢図」から新羅・高句麗題起が発見 2011-08-23 13:00
新しくあらわれた梁職貢図新羅題記
青黛文集から捜し出して..ユン・ヨング博士公開 「新羅は倭の属国」論議予告
(ソウル=聯合ニュース)キム・テシク記者=韓国古代史研究の第1級資料の中の一つと見なされる梁職貢図から永遠に消えたと見なされた新羅と高句麗に対する簡略な説明の題記が最近発見された。
特に今回発見された新羅に対する題記には新羅が倭の属国という一節があっていわゆる任那日本府説とかみ合わさって論議がおきる展望だ。
韓国古代社専攻の仁川(インチョン)都市開発公社ユン・ヨング博士は去る20日西江(ソガン)大茶山館で行われた新羅史学会(フェチャン、キム・チャンギョム)第107回学術発表会を通じて中国で最近発見報告された梁職貢図題起を分析、紹介した。
ユン博士は今回公開された梁職貢図題記を南京博物館旧蔵本の梁職貢図版本と比較した結果、「新羅と高句麗を含んだ7ヶ国の題起は完全に新しく出現した資料で、合わせて百済と倭国をはじめとして既に 知らされた9ヶ国の題起も内容で差が小さくない」と話した。(中略)
ユン博士はこの内容中でも「新羅が倭国に属したりもした」という言及が新しく現れた大きな課題であり、これをどのように受け入れるかによって歴史学界で論議が広がることがありうると付け加えた。
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(T-T)ノ~ この手の歴史資料は全部中国が持っているのですが、平気で改竄しちゃう国ですから、今後どうなるか判りません。
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