2014年12月21日日曜日

韓国史上NO1ヒットの歴史捏造映画「鳴梁」李舜臣が豊臣海軍撃破も史実は単なる小競り合い

李舜臣は大勝利などしていなかった…韓国歴史映画の史実歪曲を考える―中国メディア
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1419151959/-100

≪2014年12月20日、時光網は記事「史実の歪曲から戦果の誇張まで=韓国時代劇における歴史の“発明”」を掲載した。

韓国映画史上ナンバーワンヒットを記録した歴史映画「鳴梁-渦巻く海」。中国でも公開が始まった。同作をはじめ、韓国では近年歴史物の映画がヒットしているが、史実を歪曲している部分が少なくない。まるで歴史を“発明”しているかのようだ。

15世紀に韓国がミサイル兵器を開発していたとする映画「神機箭」のような荒唐無稽ぶりに比べれば、鳴梁は歴史事実を誇大に描くというより本物らしく感じ られる手法を採用している。もっとも史実とかけ離れていることも事実だ。李舜臣が日本を大々的に打ち破ったという鳴梁海戦。だが李朝実録に詳細な記述はな い。つまり実際には局地的な戦いに過ぎず、当時の李朝は大勝利と認識していなかったのだ。

また鳴梁海戦では日本の大名・来島通総が死亡している。彼は朝鮮出兵で死亡した唯一の大名となった。もっとも大名とはいえその石高はわずか1万4000石に過ぎない。それを映画では豊臣政権の中心人物であるかのように描いている。

さて韓国の歴史映画に歪曲があることはよく知られるようになったが、韓国人の立場になれば理解できない話でもない。長期に渡り抑圧されてきた民族が今、つ いに歴史にないほどの高い国際的地位を手に入れたのだ。過去の屈辱を覆い隠し、また民族意識が肥大化するのも無理からぬところだろう。兄たる中国は弟・韓 国の戯れ言に怒るのではなく、笑って受け流していればいいのだ。それこそ大国の度量というものであろう。≫

巷間の意見>>
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中国の属国だったことも教えてないんだろ国民に
笑えるわー
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(T-T)ノ~ 過去の史実は何も教えていないみたいです。捏造や妄想なら教えていますが…。

巷間の意見>>
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李舜臣って、なんのリスクもない追撃戦で銃弾1発で死んじゃった間抜けな人物だろう。しかも休戦協定を破って攻撃してきたといういかにも朝鮮人らしいエピソード付きの。
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(T-T)ノ~ それでも、この人よりマシな活躍をした人がいなかったんですよ。

巷間の意見>>
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>兄たる中国は弟・韓国の戯れ言に怒るのではなく、笑って受け流していればいいのだ。それこそ大国の度量というものであろう。

じゃあ、端午の節句の登録を受け流してくれるニカ?
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(T-T)ノ~ 中国人に度量なんかあるわけ無いだろ。

巷間の意見>>
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≪韓国の教科書は朝鮮に出兵した日本軍に抵抗する朝鮮人民の姿を「義兵の活躍」の項で以下のように書いている。

「全国各地で儒生、農民、僧侶などが義兵を組織し、いたる所で倭軍を打ち破り、苦しめた。
義兵は自発的に立ち上がり、自分の家族と財産、そして村を守る一方、国家を守るために倭軍を迎え撃った。
義兵は、自分の地元の地理に明るく、地形を上手く利用することができただけでなくはなく、自然条件に合った武器と戦術を活用したために、少ない犠牲で大きな被害を与えた。
当時の代表的な義兵将としては、郭再祐、趙憲、高敬命、休静、惟政などを数えることができる。」

朝鮮人は一致団結して豊臣秀吉の日本軍に抵抗したという記述ですが、果たしてそうだったのだろうか?

義兵は日本軍だけを攻撃したわけではない、彼らは食料を強奪するために朝鮮の民衆や軍隊も襲った。
流民と化した朝鮮民衆は漢城さえ狙い、官軍に殺された。


余り知られていないことかもしれないが、実際には日本軍の中には、これに呼応した朝鮮の民衆が多数含まれていた。

支配階級の両班は党派抗争に明け暮れていた。

「宣祖実録」に拠れば、「人心怨叛し、倭と同心」するような社会状況の中で、明軍が朝鮮軍支援に駆けつけてみると、「斬る所の首級半ば皆朝鮮の民」といったふうだったとのこと。

また、江戸時代末期に日本で書かれた「征韓偉略」に拠れば、秀吉の軍隊が京城に入城した時、兵士の半ばは朝鮮の民であったといいう。

また、韓国の教科書には、「文化財の被害も大きかった。景福宮が焼け、実録を保管した書庫が焼失した」と書かれている。
しかし、火を点けたのは朝鮮の民であり、秀吉の軍隊が京城に入る前に、既にそれらの建物は焼け落ちていたのである。

宣祖の京城脱出と同時に、日頃から怨念を抱いていた民衆が略奪・放火を恣にしたのであり、「虐げられた朝鮮の民衆にとって、外敵の侵入はまさに解放軍の到来と映った」との指摘すらある。(日韓・歴史克服への道 下條正男 著 より)


韓国の教科書は、そうした点については完全に無視し、もっぱら日本の悪と、これに対する挙国的な朝鮮人の抵抗だけを延々と書き連ねている。

「宣祖実録」をみてみよう



「人心怨叛し、倭と同心」「斬る所の首級半ば皆朝鮮の民」朝鮮の民衆は既に王や大臣を見限り、日本軍に加担する者が続出した。
また、明の朝鮮支援軍が駆けつけてみると、辺りに散らばる首の殆どが朝鮮の民であった。、、、、と書かれているのだ。


実際、: 王が首都漢陽から逃げ延びるとき二人の王子は民衆によって捕らえられて日本軍に引き渡されている。
漢陽死守を願う民衆を見捨てて、王や大臣たちがとっと逃げだした。


景福宮は、秀吉軍の入城前にはすでに灰燼となっていた。それは、民衆が兵乱と聞けばすぐに蜂起して、宮廷を襲い略奪したからだ。

奴婢は、秀吉軍を解放軍として迎え、奴婢の身分台帳を保管していた掌隷院に火を放った、とある。 ≫
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(T-T)ノ~ 史実を書くなんていう発想が朝鮮人にはもともとないんです。歴史観の違いですね。

巷間の意見>>
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なにせ “世界《四》大提督” デスカラ・・・。w
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(T-T)ノ~ ↓

李舜臣は世界四大提督に数えられているんですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1170730306

≪小野小町が世界三大美人の一人というのは日本だけの話ですが、李舜臣が世界四大提督の一人というのは韓国・北朝鮮だけの話でしょう。
実際には朝鮮でも李舜臣は忘れられた人物でした。
明治時代の帝国海軍の参謀たち(中心はおそらく秋山真之)が古代からの世界中の海戦を研究していた中で李舜臣の戦術も研究していたのでしょう。朝鮮人実業 家が、朝鮮にも李舜臣という名提督がいたという話を東郷平八郎から聞いた、ということから李舜臣が朝鮮で見直されたということのようです。

李舜臣が海将として有能であったことは間違いないと思いますが、実際に活躍できたのは日本水軍が整備される前に輸送船を襲撃していた序盤と、朝鮮水軍を成 敗するために急遽編成された急造の日本水軍との序戦に大勝利したくらいで、その後はむしろ苦戦に陥るケースが多かったようです。
そうは云っても、日本水軍が整備された後は、質・量ともに不利で、援軍の明国水軍に組み込まれる状況だった割にはよく戦ったと讃えられて然るべきでしょう。≫

(T-T)ノ~ 李舜臣を発掘したのは日本だったようです。

なぜ日本に李舜臣の如く世界的英雄がいなかったのか
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1295386645/

巷間の意見>>
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彼の戦死後一族を皆殺しにした李氏朝鮮
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(T-T)ノ~ そういうところはスルー。

巷間の意見>>
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世界的wwww英雄wwww
兵糧積んだ船を襲うしかできなかったチキン海賊www
一番打撃の与えられる追撃で返り討ちにされて死んじゃったwww
こんなのが世界的英雄なら日本の戦国武将にもっと沢山の英雄がいるwww
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(T-T)ノ~ まあ、韓国と北朝鮮の2カ国で英雄ですから、世界的英雄かな?
在日の間でも知名度は高いし…。

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