2011年8月5日金曜日
「共産党万歳」と叫んで極悪親子に夜ヒット降板させられた前田武彦氏死去
「夜のヒットスタジオ」「ゲバゲバ90分」などで活躍 前田武彦さん死去 82歳 生放送中に「共産党万歳」と叫んで夜ヒット降板
≪ 放送作家や司会者として活躍し、「マエタケ」の愛称で親しまれた前田武彦氏が5日午前11時16分、肺炎のため死去した。82歳。葬儀は近親者で執り行う。後日、お別れ会を開く予定。≫
前田武彦氏というと「共産党万歳事件」が有名である。
前田武彦の共産党バンザイ事件
≪● 共産党バンザイ事件
前田武彦は夜のヒットスタジオでのフリートークが加熱しすぎて時に誤解を招く一言を発し、人気司会者として評価が上がる一方で視聴者や業界関係者の間ではアンチマエタケが増えていった。
そんな中、1973年6月に共産党バンザイ事件が起こる。
事の発端は共産党当時の書記長・宮本顕治が前田武彦に会談の申し入れを申し入れを行ったところ、格に見合ったギャラを支払うという事で、前田武彦は仕事の一環として会談を受諾。
会談の評判は良く、その後も共産党は行事の司会やパネラーの仕事を依頼するようになった。
1973年6月、共産党は参議院大阪選挙区補選で擁立した候補者の応援演説を前田武彦に依頼。
そして、その応援演説の中で交わした約束が司会者生命を脅かす大問題に発展していく。
その約束とは「Aさん (候補者) が当選したら夜のヒットスタジオの生放送の中でバンザイします。 皆さん、見ていて下さい。」というものだった。
この演説の翌日に前田武彦が応援したA氏は当選。
バンザイの約束を実行せねばならなくなった。
いつバンザイをしようかとタイミングを計っていたがトリの鶴岡雅義と東京ロマンチカの歌が終わった後「三条くん、お疲れ様。バンザーイ!」 を行ったのである。
それを受け、三条正人も真意が分からない状態でつられてバンザイをやったようだ。
この事が 反共 を掲げていたフジサンケイグループ議長・鹿内信隆の逆鱗に触れ、前田武彦は同年9月、夜のヒットスタジオの司会を勇退。
これが引き金となって他局の大半のレギュラーを降板させられるという憂き目に遭った。
各マスコミは前田に対する批判を展開する一方で「鹿内の考えに合わない人間を徹底排除する」 というフジサンケイグループの企業体質に対して問題提起を行う論調もある等マスコミ業界を二分させる大事件になってしまった。≫
ということで、マスゴミの体質丸出しの事件だった。
当時フジサンケイグルーは鹿内信隆という御仁が仕切っていた。
鹿内信隆
鹿内春雄
この極悪親子の行状は程度の低い連中揃いのマスゴミの中でも評判だった。
著名なグルメ漫画にもこの親子をモデルにしたと思われる悪役が登場する。
しかし、この親子はバカウヨには信望されており、フジテレビが韓国一辺倒になったのは「日枝がクーデターで鹿内一族を追い出してからだよ」などとほざくバカウヨもいるくらいだ。
日枝久
極悪親子を追放し、勇名をはせた日枝氏だったが…。
フジテレビが異常なほど韓流に肩入れする理由…日枝久会長が韓国・高麗大学から名誉経営学博士号(ゲンダイ)
最近のフジサンケイグループは鹿内時代に似てきた観が強い。
マエタケ氏は過去の人物であり、話題性もあまりなかったが、マスゴミの非道ぶりの一端を垣間見させてくれた人物である。
ご冥福をお祈りします。
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