2010年4月18日日曜日

ミカエル


よく街頭で「あなたは神を信じますか?」などと質問してくる馬鹿がいる。そんな質問をされても答えようがない。信じる、信じない以前に、質問者が意図する「神」の定義が明確でないと答えに窮するはずである。

同様の質問に、「宇宙人を信じるか?」とか「UFOを信じるか?」などがある。
宇宙人に関しては、直接目撃した体験がない人には簡単に信じるわけにはいかないだろう。公式に宇宙人の存在を確認したという報道もない。「宇宙人が存在する可能性があると思うか?」程度の質問ならまだ答えようがある。

宇宙は広いから、地球以外の天体に知的生命体がいてもおかしくなさそうだが、これとても、宇宙人の定義を明確にしておかないと答えられないのである。

宇宙は広いようだが、確率的には現在知られている宇宙のサイズと時間では、宇宙人どころか生命が発生する可能性そのものがゼロに等しい。地球に生命が存在するのは奇跡中の奇跡なのである。

宇宙の至る所にアミノ酸は存在するが、それが増殖機能を持つタンパク質に合成される確率は限りなくゼロなのである。「テレビの部品を箱に入れて、何回揺すったらテレビが組み立てられるか?」もしくは、「ピアノの鍵盤上に猫を歩かせて、何回歩かせたらエリーゼのためにが弾けるか?」と等しい確率である。宇宙が開闢して140億年、宇宙のスペースも140億光年くらいである。この間で宇宙の至る所にテレビの部品が入った箱を用意し、振り続けたとしたら、「どこかでテレビが完成するか?」ということだ。

実際に計算してみると億単位の時間では無理で、兆とか京の時間でも無理であることが解る。
生命発生確率から考えると、現在知られている宇宙年齢が間違っているとしか思えない。
もしくは平行宇宙論を持ち出して、「宇宙が多数存在して連結している」という仮説を立てるしかない。

いずれにしても、地球上で生命が発生するなど全く可能性がないことだけは断言できる。
地球の年齢は44億年くらいと推定されている。
生命発生確率がサイコロを1000個同時に振って全部1の目が出る確率と同じと仮定すれば、6の1000乗分の1の確率であることが解る。この理屈が解らずに「1000回に一度」くらいに勘違いしている人が宝くじを買ってしまうのである。
この確率は地球が誕生して以来地球上に存在する全素粒子に意志があって1秒に1回サイコロを振り続けても到底出現が期待できない確率である。サイコロの数を500に減らしても事情は変わらない。

本当は全宇宙の素粒子が同様のことをやってもせいぜい数十乗分確率が増える程度なのだが、現実に生命が存在する以上、宇宙のどこかで発生したことは間違いない。

地球の生命は地球環境が安定した30億年前くらいに「すぐ」発生しているので、そのころ何らかの方法で宇宙から飛来したのである。

で、「UFOを信じるか?」に話を戻すが、これはナンセンスな質問である。UFOとは未確認飛行物体のことだから、文字通りの存在はすべてUFOである。信じる、信じない以前の話だ。

宇宙人についても、「知的生命体を宇宙人」と定義するならば、宇宙人がタンパク質で構成されていなくてもいいことになる。単に知的生命体と言えば、地球上でも象やカラスや豚も結構頭がいい。どの程度知的なのかが問題になってくる。まあ、常識的には地球人以上だろう。コンピュータなどに人格を持たせる研究をしているが、プロ棋士を負かせてしまったチェスコンピュータなどどうなってしまうのだろうか?

話がややこしくなったが、「神=宇宙人」という説はかなり説得力がある。神様はたいてい天から来るものだ。

ところで、政治ブログのくせに酔狂にもこんな駄文を書く気になったのかというと、バカウヨがウザいからである。どうせ大半がニートかどこかの新興宗教団体の回し者だろう。暴力団員かもしれないが…。それにナンミョウさん。
一度カルトにはまった人間を真っ当に戻すのは至難の業だが、暴力団員だって更生する者もいる。
中には私の文章を読んで悔い改める者がいないでもないだろう。このようなボランティア活動を仏教用語では菩薩戒というのである。尤も私はあまり仏教を信用していないが…。

と、前置きを書いているうちに紙幅がなくなってしまった
本題に入って「ミカエル」について語ろう。ミッシェル・ポルナレフを思い浮かんだからだ。彼についてはそのうちアイドル列伝でも書きたい。もう、いい爺さんだな。相変わらずカツラで頑張っているが…。

ミカエルは欧米系の人名としては最もありふれた名前である。

中世以降のギリシア語およびロシア語ではミハイル、英語ではマイケル、フランス語ではミシェル、イタリア語ではミケーレ、スペイン語・ポルトガル語ではミゲル、ドイツ語ではミヒャエル、フィンランド語ではミカとなる。

軍神なので日本名なら「タケシ」あたりが該当するだろう。

ミカエル

ミカエルは大天使ということになっているが、元はどこぞの神様である。最初から軍神であったかどうかは解らない。キリスト教に取り込まれた段階で、子分にされるか悪魔にされるか、消されるかの三択である。ミカエルは子分の道を歩むことになった。
ミカエルを信仰していた部族が比較的勇猛でなおかつ従順だったのだろう。信者にはやはり神様の性格が反映するものだ。

ミカエルの出自だが、インドヨーロッパ語族に信仰されていたので案外インドあたりがルーツかもしれない。

≪図像的には、甲冑を纏って天の軍団の先頭を行く、といったイメージが一般化され、場合によっては孔雀の尾羽のような文様の翼を有した姿で描かれることが多い。≫

仏教の神様で一番似ているのは毘沙門天である。
孔雀にこだわれば孔雀明王がよさそうだが、インドでは女神なので問題外である。

毘沙門天

ともに軍神であり武装している姿もそっくりである。発音も何となく似ている。
ところが、本家のインドではクベーラがモデルとされ、この神様は軍神ではなく財宝神である。どうも中国に渡ったあたりで軍神に化けたらしい。
日本でも破壊神のシヴァ神が財宝神の大黒様に化けているからいい加減なものである。上杉謙信や武田信玄もそんな事情を知らずに一生懸命毘沙門天に戦勝祈願をしていたわけだ。敵味方から同時に拝まれたら神様も困っただろう。

では、「インドで軍神とは何ぞや?」と調べてみると、帝釈天ですね。インドラである。

帝釈天

インドラは古い神様でゾロアスター教にも登場している。ヒッタイトの神様でもあったようだ。

というわけで、私的にはインドラ=ミカエルで決まりですね。
シュメールやエジプト系にはあまり該当する好い神様がいない。やはりアーリア系出自の神様のようである。

ところが、非アーリア系でも似たような神様がいるから話は簡単ではない。その神様とはほかならぬ日本のタケミカヅチ神である。鹿島神宮のご神体だ。
こんな神様、若い連中は知らないかと思ったが、ロボットとして人気があるようだ。

タケミカヅチ

名前も似ているし、別の神様と決闘した逸話などもシンクロナイズしている。同一神である可能性も考えられる。

「ミカエル タケミカヅチ」で検索すると結構引っかかるので、直観的にそう思った人も多そうだ。

同一神ならばどちらかがパクリなのだろう。パクリというと語弊があるが、昔は知的所有権の概念がなかったので、宗教はパクリ天国だった。上品に言えば起源を一にしている。これに関しては別の機会に触れたい。
古事記と聖書というと一見関係なさそうだが、宗教の世界は激しいパクリ合いだから、根は繋がっているのである。


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