2010年1月29日金曜日

どうするニッポン! ハイチに千羽鶴を送りたがる情弱が大量発生


ハイチ大地震の被災者に千羽鶴を送ろうという運動がある。これに対して賛否両論だ。どちらかというと否定論の方が多い。
私はひねくれた性格なので、他人が大勢反対していると賛成派の肩を持ってやりたくなるのだが、…持ち上げてやるところがないなあ。

ハイチ大地震の被災者に千羽鶴を ミクシィで広がる支援の輪

≪「家族を失った人たちに1人じゃないことを伝えたい」-。

 ハイチ大地震で被害を受けた人たちに、千羽鶴を贈って元気になってもらおうという動きが、インターネットの会員制コミュニケーションサイト「mixi」(ミクシィ)で広がっている。呼びかけ人の会員の元にはすでに全国から鶴が多数寄せられており、今後、NGOなどを通じて被災地に送られることが検討されている。≫


●◯ 折り鶴を折ってハイチに ●◯ YELLを贈ろう。

ほのぼのとしたメッセージではあるが…。

賛否両論を簡潔にまとめた記事もある。

「ハイチに千羽鶴贈ろう」 被災者喜ぶのか、迷惑なのか

日本人送り手の熱意は解るが、問題はハイチの被災者が千羽鶴を受け取って喜ぶかである。

日本でも大地震で被災すると、大量の古着が送られてくる。善意と厄介払いの一石二鳥のつもりで送るのだろう。
被災地は古着の山となり迷惑する。

千羽鶴を送りつけるメリットは、送り手の自己満足だけである。
それに対してデメリットを見ると、

「千羽鶴は紙なので調理用などに燃やされるだけであり、NGOに危害が加えられる恐れや医薬品などを運ぶ飛行機のスペースが削られる心配がある」

「ハイチで信仰されているブードゥー教では、鶴は『悪魔の使者』として縁起が悪いとされており、千羽鶴を贈るのは失礼に当たる」

「文化や宗教などの違いで、気持ちは伝わっても、『そんなもの』となるかもしれない」

「食べられるものの方がありがたがられる可能性はあります」

ハイチの日本人スタッフは「迷惑」と明言しているが、ハイチ政府は「気持ちは受け取る」と回答している。社交辞令である。

送り手側の肩を持ってやりたいが、見てのように好材料は何もない。
「無知な善意は悪意に通じる」といったところか?

正義感に燃えて被災地に駆けつけても、知識も技術もなかったらかえって足手まといになる。

今回は、支援者の発想が無知で幼稚だったために批判を浴びたが、ボランティア精神自体は尊い発想である。

仏教で言う菩薩とはボランティアのことなのだ。純粋にボランティア活動をしている人間はそのまま菩薩界の境地にいるのである。
「見返りを期待せず、ひたすら他人に尽くす」
ハイチの人を思って一心不乱に千羽鶴を折る行為自体は決して悪い行為ではない。しかし、送る時期を間違えてしまえば、「嫌がらせ」と同じになってしまう。

日本ではボランティア活動に対する技術的な教育が立ち後れており、表面的な道徳教育しか行われていないので、今回のようなすれ違いが発生してしまうのである。
政府はボランティア推進教育のあり方を見直すべきだろう。善意は相手に通じて初めて意味を持つのである。

私が心配するのは、今回千羽鶴を送ろうとした連中がボロクソの叩かれてめげてしまい、今後ボランティア活動自体を敬遠するようになってしまうことである。
「この程度で懲りてしまうようならば、ボランティアをする資格などない」と突き放すこともできるが、そこまで厳しい要求をする必要もない。ボランティア活動は誰でも気軽にできなければ意味がないからだ。

せっかく折った鶴だから「義援金を添えて半年後に送る」などという方法も考えられる。今送っても、瓦礫の山では飾る場所もない。深刻な食糧不足で、肉親の死を悼む余裕があるかも疑問である。
今回の過ちを教訓にして、次回ボランティア活動をする時には正しい知識を仕入れてから行うように努力すればいいのである。


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